第八章 − もう一つの決戦…そして ( No.8 )
日時: 2005/10/30 00:40
名前: によ

 何でオメーはいつも突っかかってくんだよ?
 俺が何をしたっていうんだ!?
 ったく、あん時のお嬢は───って、オイ!
 な、な、な…何で…そ、そうなるんだ!?
 は、離れろ…人が見てるだろ……
 関係ないだあ!? 俺には大アリだぜ!!
 こんなところを天───って、つ、塚本!!
 ち、違うんだ! 俺はお前を諦めたワケじゃ……
 何で…何でこーなるんだよ……

 (とある日の廊下での播磨と愛理、天満の風景より抜粋) 


 − 第八章 − もう一つの決戦…そして


          1



 陽が傾き、西の空が茜色に染まりつつあった。
 もう夕方なのか、と播磨は先程の屋敷の中とは対照的な外の静かな景色にぼんやりと思った。
 何がなんだか全くわからない展開が続いていた。
 いきなり愛理が母親に自分のことを恋人だと言いだし、それが芝居の内容であることを理解するまで暫く時間がかかった。
 その母親の真剣さにあてられ、一瞬だが芝居だということを忘れて持論を熱弁してみたりもした。
 そして、これでもう愛理との約束も果たしたと思った瞬間に、外人──愛理の父親が登場した。
 ぼんやりしたまま今までの顛末を思い出していたところに突然、木枯らしが吹いた。ずっと暖房の効いた屋敷の中にいたせいか、冬の寒さが身に染みる。
 その寒さで播磨はボーっとしていた頭の中が急に冴え始めた。

 ───そういや…お嬢の親父さんは晩飯を一緒にって言ってたな?

「お嬢……」

 播磨は隣にいる愛理に声をかけた。まだ演技を続ける必要があるのか、と問うためだった。
 だが、愛理からの反応はない。ずっと腕を組んだまま俯いている。
 ずっと腕を──播磨は屋敷から出てからずっと腕を組んでいることが急に恥ずかしくなり、力ずくでそれを振り払った。

「あ……ど、どうしたの……?」
「どうしたのってよ…その、なんだ…もう腕を組む必要はねーんじゃねーか?」
「え……と…ああ、そうね。そうよね……」

 愛理はそう言うと、軽く俯いた。
 やや赤みがかった日差しで輝いている髪が風に揺れて、陽のせいか頬も赤く色づいている姿に播磨の胸は一瞬ドキリとした。

 ───イ、イカン…なんでお嬢に……俺には天満ちゃんという……

 播磨にとって不覚にも愛理のことが可愛く思えてしまったことに動揺し、天満の名前が浮かんだ瞬間、憂鬱になった。
 それに連鎖して120Pもの漫画を描かなければならないことも思い出し、心が余計に重くなる。

 ───お嬢には悪いが…俺は今、自分のことで精一杯だったことを忘れてたぜ……

 自分を取り巻く現実を完全に思い出した播磨はいてもたってもいられなかった。
 まずは天満の誤解を解く。次に漫画を仕上げる。
 今の播磨にとってどれもが難解であり、早急に対処しなければならない事柄だった。

「お嬢…悪いけどよ…俺はもう行くぜ」
「え? 行くって……何処に?」
「まあ…俺にも色々あってよ…そっちを片づけなきゃなんねーんだ」
「で、でも、お父様との夕食が……」
「ワリい。そいつは…適当に誤魔化してくんねーか?」

 播磨はそう言って愛理に背を向け、そのまま門を目指して歩き始めた。
 とりあえずひとりでゆっくりと考えようと思う播磨であったが、これから先何処に行けばいいのかというアテもなかった。
 だが、アテがないといってこのまま愛理の家に居座れば、漫画を描くどころか先程の芝居じみたことを延々としなければならないのは容易に想像できる。
 更に愛理に家に泊まったということが天満の知るところになれば、お猿さんという烙印が永遠に消えることがなくなってしまうのではないかという危機感もあった。

「ち、ちょっと待っ……」

 後ろから愛理が若干動揺したような声を上げたのを耳にしたが、ここは黙って立ち去ろうとした。
 既に屋敷というのに相応しい大きな門まで近寄っていた。
 大門の隣にある通用口の扉に手をかけ、公道に出た瞬間だった。

「は、播磨君!!!」

 急に大きな声で名前を呼ばれた。その声の主を播磨は片時も忘れたことはない。
 普段ならこの声を聞けば顔がにやけ、名前を呼ばれれば即返事をするだろう。だが、播磨にとって場所が悪かった。
 悪寒にも似た震えがして、背中から汗が滲み出てきたのがすぐにわかった。
 播磨は声が聞こえた方向にぎこちなく振り向くと、5メートルほど離れたところに3人の少女がいた。
 天満に美琴、そして晶だった。



          2



 愛理は一種の興奮状態の最中にあった。
 自分の本心、播磨のことが好きということを演技だったとはいえ、その播磨本人と母の目の前で言った。
 更に幸か不幸か、最も敬愛する父にもそれを聞かれた。
 その結末が母は認め、父も反対するような素振りではなかった。なにより渡英しなくてもすんだ。
 組んでいる播磨の腕から暖かい温もりが伝わってくる。
 先程までの緊張感から解放された安堵感から膝が微かに震えて倒れそうだったので、実際には腕を組んでいるというよりもしがみついているというのが正しかった。
 しかし、その膝の震えもだんだんとその温もりで癒されていく感じだった。同時に幸福感が増してきてもいた。

 ───もう少し…このまま……

 愛理は無意識のうちに身体ごと播磨に寄り添わせるような形となっていた。
 決して巨躯というワケではないが、播磨の身体から絶対的な安心感があるのを愛理は感じていた。
 自分の全てを委ねても全く構わないと思ってしまう何かに完全に惹かれていた。
 だが、突然に組んでいた腕が力ずくで解かれてしまった。
 
「あ……ど、どうしたの……?」

 急なことだったので愛理は思わず播磨に尋ねた。
 こんなに心地よい状況を終わらせようとしている播磨の行動が理解できなかったからだった。

「どうしたのってよ…その、なんだ…もう腕を組む必要はねえだろ?」
「え……と…ああ、そうね。そうよね……」

 必要はねえだろ、と播磨に言われて愛理は何故と一瞬思ったが、ほぼ同時に自分が白昼夢に浸っていたことを理解した。
 先程までのは芝居だった。それ以上でもそれ以下でもない。だが、頭は理解しても心は今までの白昼夢の続きを望んでいた。
 自分より背の高い播磨を上目遣いで眺め、夕日の逆光が眩しくてよく表情がわからないが愛理は播磨の次の言葉を待った。
 一瞬の空白があったが、播磨はその口を開いた。
  
「お嬢…悪いけどよ…俺はもう行くぜ」
「え? 行くって……何処に?」

 予想外の言葉に愛理は狼狽えた。

「まあ…俺にも色々あってよ…そっちを片づけなきゃなんねーんだ」
「で、でも、お父様との夕食が……」
「ワリい。そいつは…適当に誤魔化してくんねーか?」 

 播磨から紡がれる言葉は自分が望んでいるものではなかった。
 愛理は狼狽しながらも必死で引き留めようとしたが、どうやら功は奏さなかった。
 播磨は愛理に背を向けて、真っ直ぐ門の方へと去ってしまおうとしていた。
 どうすればいいのかわからず、ただ立ち尽くすしかなかった愛理は播磨が通用口をくぐろうとしたところでもう一度呼び止めたが、播磨はそのまま門の外へと出てしまった。
 その時だった。聞き慣れた声が播磨の名前を叫んだ。
 愛理は咄嗟に播磨の後を追って走り出した。


          *


「な…なんで播磨君がここにいるの!!?」

 愛理が播磨の後を追って門から外に出たとき、天満が大きな声でそう言ったところだった。
 怒気が含まれていた。いつも笑っている天満の顔もまさに怒りに溢れているといった感じだった。

「…いや、それは…塚本…俺は……」

 目の前に立ち尽くしていた播磨の背中から途切れ途切れの声が聞こえる。
 表情こそ見えないが、明らかに動揺している様子だった。
 天満の隣にいる晶と美琴は愛理の姿に気付いて声をかけたようだったが、その呼び掛けも天満の怒声にかき消されていた。

「サイテーだよっ!!! お猿さんもいいところじゃない、播磨君!!!」
「……それは…違───」
「八雲と付きあっていると思っていたのに私を夜這いしようとしたばかりか…今度は愛理ちゃんなの!? 酷すぎるよっ!!」

 播磨の言葉も聞かず、一方的に捲し立てる天満の怒声は止まる気配がない。
 それに自分の名前を出しているのにも拘わらず、すぐ後ろにその愛理がいること全く気付いてもいなそうだった。
 目の前の播磨の身体は天満が叫ぶ度にビクッと大きく震えてもいた。
 捲し立てて播磨を責めている天満の姿に唖然としながら、愛理は播磨が言っていたことを思い出した。
 理由はよくわからないが天満の家に居候して、その想いを伝えようとしたこと。
 妹である八雲も当然一緒にいるのでふたりきりで話したいという一心で真夜中に天満の部屋に向かってしまったこと。
 部屋を間違えて八雲の部屋に入ってしまったこと。
 それを運悪く天満に見られ、誤解され、追い出されてしまったこと。
 そして、今ここにあるこの状況。
 つまりは更なる誤解が生まれている状況だった。

 ───私が…つまんないことを言っちゃったからよね……

 この原因がどこにあったのかということに愛理がたどり着いたとき、先程までの幸福感が吹っ飛んだ。
 代わりに播磨への罪悪感が重くのし掛かっていた。
 同時に天満が喚いている言葉が愛理の心にも鋭く突き刺さり始めた。
 愛理は生まれて初めて後悔をした。
 自分の窮地を助けてくれた播磨が自分のせいで窮地に立たされている。その原因の根本が自分にあることに悔やみきれなかった。
 唇を一瞬強く噛み締め、愛理は一つの決断をした。
 天満が持っている播磨への誤解を解かなければならないことを。



          3



 播磨は天満の罵声の一つ一つに心を砕かれ、絶望していた。
 いったい俺が何をしたんだ、という疑問さえももう思いつかない。
 まさにこの世の終焉というに相応しい状況だった。

 ───終わった…完全に終わった……

 天満の怒りは止まるところを知らない。
 もう砕かれる心すら残っていなかった播磨は何もかもが虚ろになっていた。
 その時、すぐ後ろから天満の声に負けないぐらいの大きな声が聞こえた。

「誤解よ! 天満!!」

 愛理の声だった。
 播磨がそう認識した時、まるで自分と天満の間を遮るように愛理は目の前に背を向けて立っていた。
 
「え、愛理ちゃん!? いつの間に……」

 自分に対する罵声が止んだかと思うと、天満から素っ頓狂な声があがった。

「さっきからずっといたわよ……それより天満、少し聞いて欲しいことがあるんだけど」
「えっと…そんなことより愛理ちゃん! その後ろにいる男には気をつけて! ケダモノなんだからっ!」
「天満! 播磨君はケダモノなんかじゃないわ! それにお猿さんでもないわよ……」
「へっ!? え、愛理ちゃん……どーいうこと?」
「いい、天満!? 全部、誤解なの。播磨君が天満のいうお猿さんだっていうのも、アンタの妹の八雲と付きあっているっていうのも全部誤解なのよ! 彼から大体のことは聞いたわ……」
「八雲と付きあっているのが誤解って…でも、それは最初、愛理ちゃんが───」
「そうね、私がそう言ったわ。でも、嘘なのよ、それは……」
「嘘って…愛理ちゃん…それっていったい……」
「あの時の私は…ちょっとイライラしてて…ついそう言っちゃったのよ……その…ごめんなさい」
「そ…そんな…で、でも、播磨君は私の家で───」
「彼は天満の家に居候してたんでしょ? その時、夜中に八雲の部屋に行ったのを見たのよね?」
「そうだよ! ヒドイんだよ…播磨君はその時───」
「天満の部屋だと思った、って言ったんでしょ?」
「うん…だから───」
「確かに真夜中にそんなことをしたら誰だって誤解するとは思うけど…彼はただ天満に話したいことがあっただけなのよ……」
「は、話したいことって……」
「それは…その…後から彼自身に聞くといいわ……とにかく、彼はそんなことをするような人じゃないことはこの私が保証するわ!」
「愛理ちゃん……」

 播磨にとって不思議な光景だった。
 天敵だと思っていた愛理が自分を庇っている。
 傷心で上の空で聞いていたので、話の中身はよく覚えていなかったが、自分を庇っているのだけはわかった。
 そんな愛理の背中をぼんやり眺めていると、愛理は身体の向きを変えて播磨の正面を向いた。
 そして、急に深々と頭を下げた。

「ごめんなさい、播磨君。私が全部悪かったわ……」

 少し前につき合っていた芝居よりもインパクトがあった。
 あの愛理が自分に頭を下げて謝っている。播磨は思わず目を剥いていた。
 ワケがわからず呆然とするしかなかったが、愛理はずっと頭を下げたままだった。

「お、お嬢…もういいからよ……」

 ずっと頭を下げている愛理に居心地が悪くなった播磨はそう声をかけた。
 それでも愛理はずっとそのままだった。
 播磨は愛理の肩に手を添えて、頭を上げるように力を少し込めた。  
 愛理は泣いていた。
 泣いている上に酷く小さな声で聞き取り難かったが、ごめんなさい、ごめんなさいと呟いているようだった。

「ったく…何でお嬢が謝ってんだよ……」
「播磨君……」

 いつの間にか天満も傍に寄っていた。少し複雑そうな顔をしている。

「塚本……」
「愛理ちゃんの言ったこと……本当なの?」
「ああ……」
「……そっか…全部私の誤解だったんだね……八雲と付きあっていることも私に夜這いしようとしたことも……」
「すまねえ…俺がバカだから色々誤解ばっかさせちまってよ……」
「ううん…謝らないといけないのは私の方だよ…ごめんね、ヒドイことばかり言っちゃって。八雲と付きあっていないってのはちょっと残念だけど……」
「すまねえ……」

 その手を愛理の肩に置いたまま天満と向き合っていた播磨は少し項垂れた感じで軽く頭を下げた。
 天満の様子を盗み見すると、先程の憤怒とは違い、いつもの天使のような笑顔に戻っていた。
 救われた。播磨はそう感じ、ホッと溜め息を洩らした。 
 天満はそのまま愛理を慰め始めていた。次第に愛理の啜り泣く声も小さくなっていった。

「……もう、大丈夫……」

 愛理がそう呟くと、播磨はその手を肩から離した。
 俯いていた顔を上げた愛理の目尻から微かに涙が宙に舞ったように感じた。
 泣いていたので目は赤くなっているが、表情は笑っていた。
 それを見た天満は更に笑顔に輝きを増して愛理に抱擁した。
 夕日に染まって抱擁するふたりの姿が妙に眩しい。

 ───サンキュな、お嬢。意外といいヤツじゃねえか……

 ふたりの姿に播磨は感慨深くそう思った。
 そして、天満の誤解と不安がなくなった今、播磨はやっと安堵することができた。
 ほんの数日の出来事が、思えば長い道のりだった気がする。
 天満と同じ屋根の下ですごせるという幸運にありつけたかと思えば、ささやかなミスと大きな誤解でどん底にたたき落とされ、深夜の街を徘徊するハメになった。
 気づいたら愛理の家にいて、話の流れでお嬢の渡英を阻止する手伝いをしたかと思えば、いきなり人生最大の危機を迎えていた。
 そんな危機も愛理によって全て解決した。

 ───あとは120Pの漫画を描き上げるだけだぜ! そしたら…今度こそこの想いを天満ちゃんに……

 小さなガッツポーズをしてそう思った。
 もう何の誤解も、何の不安もない。
 やるべきことをやったあと、待っている素晴らしい世界が頭に浮かぶ。 
 そんな時だった。

「ねね、播磨君。あの時話したかったことって何なの?」

 愛理と抱擁したままの天満は播磨の方に振り向いて、唐突にそう言ってきた。
 じんわりと汗が浮かぶ。
 話したかったことは想いを告げることに他ならない。
 漫画を描き終えてからと思っていた瞬間が、いきなり今やってきたことに播磨は新たな動揺を禁じ得なかった。 




.....to be continued

 

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