第七章 − 彼女の決戦 ( No.7 ) |
- 日時: 2005/10/13 10:10
- 名前: によ
ったく、あの時はワケが全くわからなかったぜ。 つーかよ、今の状況の方がワケわかんねーんだよな…… はぁ…… 俺はいってーどうすればいいんだよ!? こういう時はアレだ、漫画を描いて気持ちを静めるしかねーぜ!
(播磨の葛藤より抜粋)
− 第七章 − 彼女の決戦
1
背中にじんわりと汗が滲む。 播磨は今、更なる窮地に立たされていた。 天満に嫌われたというだけでこの世の終わりに等しいのに、播磨は泣きながら叫んだ愛理の姿に『助けてやる!』と言ってしまった。
───助けてやるって言ってもよ…いってーどうするんだよ、俺!!
泣いている女を見過ごすことは出来なかった。 その生来の性分でつい口走ってしまったその言葉。 言ってしまった後でコトの重大さに気付いた播磨は心の中で頭を抱え込んでいた。 助けてやると言った相手──愛理は今は泣き止んでソファーに大人しく座っている。 播磨は愛理から背を向けて、考え込んでいるような素振りをしていた。 つまりは演技である。
「ねえ…播磨君……」 「うっ…お嬢、もうちょっと待ってくれ! 今、すげーいい案がここまで出かかってるんだっ!」
愛理に呼ばれた播磨は咄嗟に振り向くと、喉を指差してそう言った。 そして、また愛理から背を向ける。
───くそっ! なにがいい案が出かかってるんだよ。嘘なんかついてどーすんだ、俺は……
播磨は必死になって考えてはいるが、焦りから全く考えがまとまらない。 かといって一度言ったことを反古にするようなマネは絶対に出来ない。
───いいか…まずは冷静になるんだ! で、お嬢がどうやったらイギリスに行かなくてすむか考えるんだ!
とりあえず心を落ち着かせるため、播磨は深呼吸をした。 一度では足りず、二度、三度と深呼吸をする。 深呼吸で少し落ち着きを取り戻した播磨は愛理が言っていたことを思い出そうとした。 まず、イギリスに行く理由は政略結婚のためだった。 好きでもない男とは結婚したくない。
───好きでもないヤツとの結婚を逃れるにはどうしたらいいんだ?
そう思ったとき、「駆け落ち」という単語が頭をよぎった。
───ダメだ…俺とお嬢はそんな関係じゃねー! それに俺には天満ちゃんという…はぁ、天満ちゃんか……
一瞬、何故かウエディング姿の天満が思い浮かんだが、すぐに怒り狂ったあの時の天満の姿がその姿をかき消してしまった。 瞬間的に播磨はガックリと項垂れてしまった。
「ね、ねえ…播磨君……」
愛理から再度名前を呼ばれなければ播磨はずっと落ち込んでしまうところだった。 ハッとして負のオーラを振り払った播磨は愛理に先程と全く同じ仕草で同じ台詞を言うと、再び考え始めた。
───駆け落ちはあり得ねえから…となると……
次に浮かんだ単語は「家出」だった。 だが、家出するためには家出先が必要になる。 播磨が居候しているマンションは鍵がない。播磨自身、現在家なき子状態のため手伝える状況ではなかった。 仮にマンションの鍵が開いていたとしても、従姉である絃子が同居している場所に匿うこともできない。 播磨は手詰まり状態となっていた。
2
『助けてやる!』
播磨が言ったその言葉はとても力強く感じた。そして、何よりも求めていた言葉だった。 高ぶった感情にまかせるままに助けを求めた愛理は、それに答えてくれた播磨の優しさをゆっくりと噛み締めていた。 その播磨は愛理に背を向けるようにして何か考え事をしているようだった。 暫くその様子を伺っていた愛理だったが、全く動かない播磨に少し不安にもなり声をかけた。
「ねえ…播磨君……」 「うっ…お嬢、もうちょっと待ってくれ! 今、すげーいい案がここまで出かかってるんだっ!」
愛理の呼び掛けに身体を少しビクッとさせて振り向いた播磨はそう言うと、再び背を向けて考え込んでしまう。 言葉では何か考えがあるようなことを言っているが、実際のところは何も思いつかないんだろうと愛理は感じた。 でも、それは愛理にとってはどうでもよかった。 播磨の、その優しい気持ちを向けてくれただけで愛理は十分だった。 その暖かい気持ちが愛理の凍りついてしまっていた心を溶かしてくれた。 同時に愛理は本来の自分らしさを取り戻しつつもあった。 要は欲が出始めていた。 一度ならずと突きつけられた現実に諦め、播磨とこうして会っても、最初はちゃんとさよならだけを伝えられればと思っていた。 しかし、今は違う。 播磨と離れたくない、日本から離れたくないという気持ちが前面に押し出されていた。 愛理は考えた。 どうしたらこの話を破談にすることができるのか、を。 以前、母からは「嫌なら断ってもいい」と言われている。 でも、出発を明日に控えたこのタイミングで理由もなく──本当は理由はあるのだが、それをそのまま伝えて断るにはバツが悪すぎる。 更にあの祖母のこともある。 渡英の話が出てから散々考えて、結局はどうしようもないと一度は結論を出した問題のため全くいい案は思いつかない。 それは自分の気持ちを押し通すことを切り捨てた結果だった。 もし、別の──母を不幸にさせたくないという気持ちを切り捨てた場合、自分は日本に留まることが出来るだろうと愛理は思っている。 つまりは愛理がそれを決断出来るか否かであった。
『駆け落ちまでしたお袋さんの幸せがそれで壊れちまうってのは俺には考えられねえってだけだ』
播磨が言ったことが頭によぎった。 確かに母は一度、祖母に逆らっている。 逆らったからこそ、母は父と一緒にイギリスに行き、慣れない外国生活に苦しんでいるようだった。 もし、今、私が祖母を裏切るようなマネをしたら母はどうなるのかと愛理はもう一度考えてみた。 きっと祖母の怒りは母にも向けられるであろう。 今居るこの家には住めなくなるかもしれない。だが、日本に居られなくなるわけでもない。 そして父は今や世界有数の資産家でもある。 この家には住めなくなっても、同じ矢神かその近辺に私達の住める場所を用意してくれるだろう。
───何でこんな簡単なコトに気付かなかったのかしら。
母はイギリスでは苦労はしていたが不幸ではなかったのではないか。 今も世界中を飛び回っている父だが、昔も似たようなものだった。 父があまり家にいなかったことが不幸だったのではない。 単純な掛け違い、勘違いだった。 苦労と不幸は別物だ。それを同一視していたという間違い。 今は日本にいる。慣れない暮らしという苦労はないはずだ。 そう思うと、一気に気持ちが楽になった。 私がこの縁談を断っても母は不幸にはならない。 この時、愛理は完全に自分を取り戻した。
3
焦りばかりが募る。 いったいどれぐらい考え込んでいるのか。 時間だけが過ぎていく。 愛理はもう二度も播磨を呼び掛けていた。
───このままじゃ、お嬢はもう俺が何も考え出せないと思うだろうな……
いったん助けると約束してしまった手前、播磨は何もいい案が考えつかない自分が情けなく思えてきていた。 もう土下座でもして何も思い浮かばないことを詫びようとしたときだった。
「ヒゲ!!」
愛理が大きな声で播磨に呼び掛ける。三度目だ。 とうとう愛理が怒ってしまったかと観念した播磨は振り向くとすぐに土下座した。
「す、すまねえ…助けてやるって言っておきながら何にも思いつかねえ……」
播磨は絨毯に額を擦りつけて謝った。 だが、愛理から発せられた言葉は意外だった。
「なっ…いきなり何してるのよ……」 「いや、マジで何も思いつかねえから……」 「いいわよ…別に思いつかなくたって……」 「へっ!?」
思わず顔を上げて愛理を見上げた。 愛理は顔を横に逸らして、何故か頬を少し赤らめていた。
「案は私が思いついたわよ…で、手伝いが必要なんだけど、当然手伝ってくれるわよね!?」 「あ、ああ…そりゃもちろん…で、何を手伝えばいいんだ?」 「これからお母様に渡英の話をお断りしに行くわ。それについてきて欲しいの」 「一緒にお嬢のお袋さんのところに行くだけか?」 「ええ…それと何か聞かれたら全部私の言うとおりに言って欲しいんだけど……」 「ん? そりゃいったい……?」 「つまり…えっと…その…私の言うとおり言えばいいのよ! 演技よ、演技!!」 「…何だかよくわかんねーが…お袋さんの前でお嬢の言うとおり言えばいいのか?」 「そうよ…手伝ってくれる?」 「ああ! それぐらいなら俺にも出来そうだぜ!」
播磨は立ち上がると、愛理は「じゃあ行くわよ」と言い、播磨を部屋の外に出るよう促した。 愛理が何をしようとしているのかは播磨にはサッパリわからない。 だが約束は意外と簡単に果たせそうだということに安堵した。
4
心臓がドキドキと高鳴る。 これからやることは母に、播磨にどう思われるのか。 それを思うと緊張せずにはいられなかった。 縁談を破談させるには自分には他に好きな人がいると言うのが一番だと愛理は思った。 幸いというか、神様の悪戯なのか愛理の想い人、播磨はすぐ隣にいた。 播磨を母に会わせ、そのことを言うだけだ。 後は母がどんな反応を示しても押し切ってしまおうと考えていた。 しかし、愛理には播磨に告白をする勇気もなければ、播磨は天満のことが好きなのも知っている。 だから「演技をする」ということにした。 とは言っても愛理にとっては本心そのものだ。演技と言うのは実に微妙である。 ただ、播磨にとってはそれは演技であり、告白とは取られないのは確かだ。 本当は播磨と詳細に打ち合わせをしてからと思ったが、いざ詳細を言おうとすると想いは本物ということもあって、愛理は気恥ずかしくて口籠もってしまった。 おもわず勢いで十分な説明もしないまま母の部屋に向かってしまっている愛理は緊張と不安でいっぱいだった。
───やっぱし…出直そうかしら……
不安が弱気に変わる。喉も異様に渇く。 母の部屋に近づくにつれ足取りもどんどん重くなり、とうとう愛理はその部屋の少し手前で立ち止まってしまった。
「ん? どうした、お嬢?」
急に立ち止まった愛理に播磨は声をかけた。 愛理は後ろからついてきていた播磨の方に振り向いた。
「ね、ねえ…喉乾かない?」 「ん〜、まあ、乾いてないこともないけどよ……」 「やっぱりいったん部屋に戻ってお茶を飲みましょ。それに…演技の打ち合わせももっと詳しく──」
カチャ。 扉の開く音が愛理の背後から聞こえた。
「あら、愛理? それに…その男性(かた)はいったい……」
扉の開く音の次は母の声だった。 愛理は恐る恐る振り向くと、母はゆっくりとこちらへと向かってきていた。
「お、お母様…えっと…この人は……」 「あ、ども。こんにちわ」
震える声の愛理とは対象に平然と挨拶を交わす播磨の声。 緊張感の欠片もない播磨を少し恨みつつ、愛理は引くに引けない状況になってしまったと直感した。 喉が更に渇き、身体も震え出す。 母の方はキョトンとした顔で愛理の言葉を待っている様子だった。
───覚悟…するしかないわね……
喉をゴクリとならし、深呼吸をする。 愛理は播磨の隣までゆっくりと移動すると、自分の腕を播磨の腕に絡めた。
「お母様、この方は私の恋人です」 「なっ!!」
愛理の突然の行動に播磨は短く驚きの声を上げ、母に至っては絶句していた。 絡めた腕を無理矢理引っ張る。自然と播磨の顔が愛理の方に引っ張られた。
(え…演技よ…いい、話を合わせて)
愛理は播磨の耳元で母には聞こえないよう小声で囁いた。
「え、愛理…恋人って…貴女は明日───」
母はこれ以上ないといった感じで目を大きく見開き、口をパクパクさせてそう言った。
「お母様、渡英の件はキャンセルさせて頂きます」
宣言するように愛理は言い切った。 母と思わず対峙してしまったときは緊張の極みだったが、播磨のことを「恋人」と言った瞬間に愛理の肝は据わった。
「キャンセルって…そんな……」 「私はこの方を愛しています。林さんとお付き合いするわけにはいきません!」
矢継ぎ早の告白に母は再び絶句してしまった。 播磨も表情こそ見えなかったが、母と同じく絶句していると愛理は感じた。 絡めている腕から伝わるカチカチとなった筋肉がそれを証明しているようなものだった。
「それではお母様、そういうことですので……」
言うべきことは言った。それにこの場の雰囲気から早く逃れたかった。 絶句したままの母に愛理はそう言うと、播磨に腕を絡めたまま自室に戻ろうと母から背を向けた。
「ま、待ちなさい、愛理!」
母が声のトーンを1オクターブ高くして、立ち去ろうとする愛理を呼び止めた。
「その男性が…貴女の恋人だと……」
再び母の方に振り向いた愛理は「はい」とだけ言った。
「貴男のお名前は?」 次に母は播磨の名前を尋ねた。 だが、播磨が無言のままだったので、愛理は軽く腕を引っ張り「名前よ」と耳元で再び囁いた。 やっと気づいた播磨は慌てて名前を名乗った。
「ア…アノ…ハリマケンジ…ッス……」
緊張しているのか、それとも混乱しているのか。 播磨の自己紹介はまるで棒読みだった。 たぶん後者であろうと愛理は思う。 このままではボロが出てしまうと思った愛理は何とか話を切り上げたかった。 だが、母はそれを望まなかった。
「愛理は明日、ロンドンへ旅立つのはご存じでしたか?」 「…ハ、ハイ……」 「それを貴男は止めに来たってことなの?」 「…ハ、ハイ……」 「そう…最後にお伺いします。貴男は愛理を幸せに出来るの?」
今度はトーンが1オクターブ下がった。 それにまるで母を播磨を睨みつけるかのような目だった。 播磨の返事はない。 愛理はもう一度腕を引っ張る。 だが、無言のままだった。
「どうなの?」
母がもう一度尋ねた。 愛理は不安になって播磨の横顔を見上げた。 もの凄く真剣な顔つきだった。 そして、口が開き始めた。
「わかんねえ……」
愛理はその播磨の言葉に全身から血の気が引いていくのを感じ取った。
5
急に絡まれた腕。 突然、愛理が言った「恋人」という言葉。 あまりの展開に播磨はついていけなかった。 いったい何がどうなったらそうなるのか。 そう思った時、腕を強く引っ張られ、耳元で「演技だから」と囁かれた。 だが、播磨はすぐには理解出来なかった。 いったい何の演技なのか。 どれが演技なのか。 自分はいったいどうしたらいいのか。 殆ど頭が真っ白になりかけていた。 愛理とその母が何かを話しているが、播磨には途切れ途切れにしか聞こえなかった。
───俺が…お嬢の恋人!?
いったいいつからそうなったのか。 思い当たるフシは全くない。 お嬢から告白されたこともないし、告白したことも─── ───ま、まさか、あの時のコトか!?
梅雨明けに天満と間違って告白してしまった記憶が蘇った。 だが、即座にそれを否定する。 その後、愛理とは口喧嘩こそ絶えないが、つき合っているという認識はお互いにないはずであった。 播磨は先程、愛理から囁かれた言葉をゆっくりとなぞるように繰り返した。 演技だから。 話を合わせて。 演技だから。 話を合わせて─── 繰り返し心の中で復唱するうちに徐々にではあるが、播磨は今がどんな状況であるか認識し始めることができた。 目の前にいるのは愛理の母であり、愛理は母に縁談を断ると言っていた。 縁談を断るには恋人がいるという説明は手っ取り早い。
───俺に恋人役を演じろってコトか……!?
そう考えついたとき、再び腕が軽く引っ張られた。
(名前よ)
耳元で愛理が囁く。
───名前!? あ、ああ…俺の名前か!
「ア…アノ…ハリマケンジ…ッス……」
思わず棒読みになってしまった。 状況はやっと飲み込めたが、播磨は今までアドリブが必要な演技なんてものをしたことはなかった。 愛理を助けると言った手前、失敗は許されないと気負った播磨は逆に緊張してしまっていた。
「愛理は明日、ロンドンへ旅立つのはご存じでしたか?」 「…ハ、ハイ……」 「それを貴男は止めに来たってことなの?」 「…ハ、ハイ……」
愛理の母の質問に答えるも緊張が取れない。
───チッ! 俺は「ハイ」としか言えねーのかよっ!
自分でも間抜けだと感じる回答しかできないのがもどかしかった。
「そう…最後にお伺いします。貴男は愛理を幸せに出来るの?」
急に声が低くなった。 その変化に愛理の母を見据えた播磨は、その目に宿る真剣さに心を奪われた。 自分と愛理はこれが虚像、いわば茶番劇だと知っている。 しかし、目の前にいる愛理の母はそれを知らない。 よくよく考えれば、一生を左右しかねない重大な話だ。 愛理の手伝いとはいえ、軽々しく言っていいものなのかと播磨は悩んだ。 それに、もし、いずれ自分の想い人──天満の両親に同じ質問をされた場合はどう答えるのか考えてみた。 幸せにするのは当たり前だ。 だが、大事なのは言葉ではない。行動のはずだ。
「どうなの?」
再度問われた。 播磨は思った。 言葉にするのは簡単だ。簡単だからこそ、言えば軽くなってしまう。 既に播磨の頭からは愛理から頼まれた演技だということが消えていた。
「わからねえ……」
思ったことを素直に口にした。 播磨にとって軽々しく言っていいのかわからないという意味だった。 だが、それは言葉足らずで誤解を招いてしまったようだった。
「わからないって…貴男、そんな気持ちで愛理とお付き合いしてるの!?」
その声には怒気が含まれていた。
「お、お母様、これは…播磨君!?」
愛理の声は明らかに動揺していた。
「愛理、こんな人のどこかいいの? 好きな人を幸せにするって言葉も言えない人なのよ!?」 「そ、それは……」 「私は反対です! この人とのお付き合いなんて認めません!」 「で、ですが……」
ふたりのやりとりが、愛理の母の言葉が播磨には妙に滑稽に思えた。 そして軽く怒りも覚えた。
「あの…言葉にしたら満足なんっすか?」 「な、何を唐突に…貴男にはもう何も伺いません!」 「そりゃ別にいいっすけど、少しは自分の娘の気持ちも考えたらどうっすか?」 「なっ…なんて無礼な……」 「思うんっすよ、俺。幸せにしますとか言葉で言うのは簡単だって。だけどよ…本当に大事なのは行動じゃないっすか? 気持ちじゃないっすか? 幸せにするなんて好きな子とつき合うのなら当たり前っすよ。なんつーか、俺はそんなことを言葉にする必要があるのかってのがわからなかっただけっす」
そう言い終えた播磨はずっと愛理の母を見据えていた。 真剣な想いには真剣で。自分の真意が伝わったかはわからなかったが、そう言うことが目の前にいる人への自分なりの誠意だった。
「播磨君……」
愛理はそう呟くと。絡まれている腕の力が強くなり、微かに震えているのも感じた。 その震えから、播磨はせっかくの演技を台無しにしてしまい怒っているのかと思ったが、気に留めることはしなかった。 自分は自分の信念を言ったまでだった。それは演技であっても曲げることは出来なかった。
「貴男は…好きな子を幸せにするのは当然と言いたいわけね?」
微かに震えた口調で愛理の母が尋ねた。
「ええ…それが一番大事っすから」
播磨にとって当たり前の信念である。それをわざわざ聞かれるのも不思議だった。
「わかりました…先程の言葉は撤回致します。播磨さんでしたね、愛理のこと宜しく頼みます」
愛理の母は先程までの険しかった顔を微笑みに変えると、深々と頭を下げてそう言った。 その態度にどうやら愛理の手助けは成功したようだと播磨は感じ取った。
───まあ、これ以上の演技はしなくてよさそうだな。ったくよ、お嬢もトンデモねー芝居を思いついたもんだぜ。
騙してしまったというコトに多少の後ろめたさもあったが、約束を果たしたという安心から、播磨は後のことは愛理が何とかするんだろうと気軽に考えることにした。
「素晴らしい意見を拝聴させてもらったよ、ハリマ君」
突然、拍手をする音と共に、ほんの少しだけヘンな訛りのある声が下から響いた。 誰だと思い、播磨は声のした方向に視線を移すと、そこには愛理と同じ金髪の外人が階段を上ってきたところだった。
6
愛理は嬉しくて涙が出そうだった。 播磨の言った言葉が心に響いていた。 演技だとはわかっていても、その言葉は力強くとても演技とは思えないものだった。 その時、急に拍手をする音と絶対に忘れのしない声が階段から聞こえてきた。
「お、お父様!!」
愛理は突然現れた人物に驚愕し、素っ頓狂な声を上げてしまった。 その人物とは父だった。
「ど、どうしてお父様がここに…いつ、日本に来られたのですか?」 「久しぶりだね、愛理。実は急に日本で商談があってね。その商談も終わったのでここに寄ってみたんだが…驚いたよ」 「え…えっと、その…これは……」 「話はそこで聞かせてもらったよ。明日、一緒にロンドンへ旅立てなくはなってしまったが、愛理は何も心配しなくていい」 「盗み聞きなんて悪趣味ですわ、アナタ……」 「はは、そう言うな。それより京都にいるあの人には私から話をしておくよ。それより──」
父は話を区切ると、隣にいる播磨に手を差し伸べた。 握手をしようというジェスチャーだ。 その光景に暫く唖然としていた播磨だったが、思い出したように父と握手を交わした。
「初めまして、愛理のボーイフレンド。早速で悪いんだが、愛理の父親として君ともう少し話を交わしたいと思うんだが、どうかな? 一緒に夕食でも」
愛理はハッとした。 父が夕食に誘うなんて思いも寄らなかった。というより、父が日本に、この場所に居合わせるということ自体が全くの想定外だった。 それが愛理の考えていたシナリオを狂わせ、別の問題──播磨との本当の関係をどう説明するという問題が生じたことに気づいた。 最初に考えていたシナリオは好きな人を母に紹介して、仮に母が反対しても押し切るというシンプルなものだった。 愛理の播磨に対する想いは本物である。でも、播磨の気持ちはあくまで演技だった。 母はきっと少なからず反対すると予想していたし、それはそれで好都合でもあった。 結果として嬉しくもあるが播磨の意外な言葉に母は賛成してくれた。 だが、どういうわけか父まで現れるという事態になっている。 愛理にとってこの演技を暫くは続ける必要が生じてきた。
「えっと…俺は───」 「も、もちろん問題ないわよね、播磨君」
播磨が何かを言いかけたのを愛理は遮った。 今の状態で播磨が何を言い出すのか検討がつかない。ヘタなコトを言って欲しくはなかった。 愛理は念押しで未だ絡めていた腕を引っ張った。 演技を続けてという意思表示だった。
「お…あ、はい」
合図が通じて播磨がぎこちなくも回答をしたので、内心ホッとした。 だが、ここで気は抜けない。 今度こそかなり詳細な打ち合わせ、いわば口裏合わせが必要だろう。 それに播磨への説得も。 そう思うといったんこの場を離れる必要があった。
「あの、お父様、お母様。私たちは散策に出かけようと約束していたんです。夕食の時間には戻って来ますので、いったん失礼させて頂きます」
口から出任せとはまさにこのことだった。 そして、ふたりの回答を待たずに播磨の腕を引っ張って両親の脇を通り過ぎた。 かなり不自然な行動だったが、これ以上滞在するのは危険だったのでやむを得なかった。 愛理は播磨を引っ張ったまま駆け足で階段を下りて、そのまま玄関をくぐって家の外に出た。
.....to be continued
|
|