第五章 − 狂い始めた歯車 ( No.5 ) |
- 日時: 2005/09/29 06:07
- 名前: によ
あの漫画が烏丸の代わりに載っていた。 天満ちゃんはそれを認めてくれた。 俺に間違いはなかった。 烏丸のヤローに勝ったんだって思っちまった。 それが全部勘違いだったんだよな…今思えばよ…… だがよ─── チッ! どうにかしてるな、俺はよ……
(播磨の反省より抜粋)
− 第五章 − 狂い始めた歯車
1
筆先が全く動かない。 ジンマガの五島編集長に120P描いて来いと言われて、既に丸三日がたとうとしていた。 まだ白紙の原稿を目の前にして、播磨は悩んでいた。 ただ、悩んでいるのは漫画のことではなかった。
『ホンット、八雲にピッタリだよっ!!』
ほんの1時間前に天満から発せられた言葉が、ずっと播磨の頭にリフレインしている。
───くそっ、やっぱり天満ちゃんは…まだ俺が妹さんと付きあってると……
妙なキッカケで播磨は烏丸のアシスタントをすることになったが、烏丸の原稿にインクを垂らしてしまった。 途方に暮れていたが、八雲の手伝いもあって、代わりに自分が漫画を描き上げて編集に手渡していた。 それが何故かジンマガに掲載されていた。 播磨にとって思わぬプロとしての第一歩だった。 そして、宿敵とも言える烏丸と同じ土俵に立てたと感じていた。 播磨は愛しい天満のために、その漫画を認めてくれた天満にもっと楽しませてやりたいと突き進んだ。 その結果が120Pの漫画を描いて来いと言われ、塚本家の書斎でそれを描き上げることになった。 神の戯れか、悪魔の囁きか。 播磨にはどうでもいいことであったが、行き着いた先は天満と同じ屋根の下を共にしているということだった。 天満との雰囲気も悪くはない。それどころか、あの漫画に描いたような播磨にとって夢にまで見た状況だった。 あの烏丸に勝った。播磨にはそうとしか思えなかった。 ところが思わぬところで躓いていた。 八雲と付きあっている、という天満の勘違い。 播磨としてはどうしても超えなければならない大きな壁となってしまった。
───ダメだ!! 一回ハッキリ言っておかねーと!! このままだと一生俺たちは結ばれねぇ……
どうやってこの想いを伝えるか。 常につきまとってきたもう一つの大きな壁もあった。 塚本家に居候をしている関係上、いつも天満と八雲の三人でいる。 ふたりっきりになれる機会はごく限られていた。 播磨は悩んでいた。どうしたらふたりっきりになれるのか、と。
*
静まりかえっていた塚本家にギシッ、ギシッと廊下が微かに軋む音が響いていた。 真っ暗な階段を半ば手探りで上がり終えた播磨は、ある部屋の扉を静かに開けると忍び込むように中へと入り込んだ。 薄暗い部屋の一角にあるベットから規則正しい寝息が微かに聞こえる。
───間違いねえ…あの髪……
枕元には両端を縛った髪のような影が天満のトレードマークだと物語っていた。 部屋に入る前は確信が持てなかったが、この影が播磨に確信を与えてくれた。
「…………こんな時間にすまねえ塚本……」
播磨は静かに語り始めた。
「もっと早くこうしたかったんだが…俺には勇気がなくてよ……だが今夜はもう逃げねえ…俺は…俺は………」
盆に水が満たされていくように、播磨の気持ちも徐々に高ぶっていく。 そして、その気持ちは一気に溢れ出た。
「ずっとお前のことを俺─────!!」
叫ぶようにそう言って、目の前の布団をめくりあげた播磨は影の正体に驚愕した。 薄暗い部屋の微かな光をその双眸に反射させていたそれは、「ニャア」とひと鳴きした。 ベットに横たわっていたのは一匹の猫で、天満のトレード・マークだと思っていた影はその額に取り付けられた特大ゴキブリ・フィギュアの触覚だった。 ───伊織!? つーことはこの部屋は妹さんの………!!?
額にゴキブリ・フィギュアをつけている猫なんて伊織しか思いつかなかった。 そして、伊織は八雲の飼っている猫である。 播磨はそう連想して、自分が部屋を間違えてしまったのかと思ったときに後ろから人の気配を感じた。 振り向くと、開かれたままの扉の先に人影が映っていた。そして、まるで蜃気楼のようにかき消えていく。 播磨は無意識に部屋から飛び出して廊下に出ると、その影が天満だったことを確信した。 ほんの1メートルかという先に天満が立っていた。 微かにその身体が震えているようでもあった。
「ち、違ーんだ…塚本……」
播磨は虚ろな声で言うと、右手を伸ばしてその小さな肩を掴もうとした。
「こ、来ないで……」
身体をビクッと大きく一度震わせると、天満は播磨から一歩後ろに下がった。
「つ、塚本……」 「播磨君…私、言ったよね? お付き合いは節度を持ってねって。ヒドいよ…信じていたのに…夜中に八雲の部屋に忍び込むなんて……」 「いや…だから……」 「お猿さんじゃないっ! 播磨君!!」
胸を抉るような天満の鋭い言葉。 一瞬、倒れてしまうかもしれないと思った播磨だったが、誤解を解かなければいけないという一心で踏みとどまると、あらぬ限りの力を振り絞った。
「違うんだっ! 全部誤解なんだっ!!」 「何が違うの? じゃあ、何でココにいるの!?」 「そ…それは…俺は最初からお前に……」 「最初からお前に…って、八雲だけでなく……私もっ!?」 「だから───!」 「信じられないよ! 八雲と付きあっているのに私の部屋に忍び込もうとしてたなんてっ!! 見境なさすぎ!! 今すぐ出てって!! サイテーだよっ、播磨君!!!」
たたみ掛けるように天満は言うと、踵を返して自分の部屋に駆け足で戻ってしまった。 バンッと扉を閉める大きな音が播磨の耳をつん裂いた。
「つ…つか…も…と……」
天満の一言一言が胸に突き刺さり、扉の閉まった音が完全に全てを断ち切ってしまった。 歪んでいく意識の片隅で、播磨はそれだけを感じ取った。
2
冬ということもあり、まだ陽も昇らない早朝。 ナカムラはガレージで日課であるリムジンの洗車しているときに溜め息が漏れてしまった。 自分が仕える主人の愛娘である愛理は、ここ1ヶ月という短い期間で運命の歯車を急速に動かされていた。 最も傍で仕えるナカムラにとっては長年の付き合いということもあり、その心中が穏やかでないことは想像し易かった。 一方的に蹂躙されていく戦地で途方に暮れているようだ、とナカムラは感じていた。 戦う術を知らない愛理を一度は救出しようと試みてみた。 だが、自分は援護しかできない。あくまで愛理が戦う意志を持たなければならない。 戦う覚悟を問うてみた。
『もう…ご決心はつきましたか?』
戦況によっては退却も必要である。 もし、小さな主人とも呼べる愛理が退却──家を出るという選択を取るのであれば、ナカムラはそれに従う心づもりだった。 しかし、愛理は降伏を選んだ。 それも致し方なかった。何しろ敵に「人質」というカードを握られている。 この館の女主人、愛理の母が人質なのだから。 ナカムラは自分が愛理を救うべき戦士となれないことに歯噛ゆんだ。 リムジンの洗車もほぼ終えようとしたころ、ナカムラは背後に忍び寄る人の気配を感じた。 昔、幾多の戦場を渡り歩いたナカムラにとって、その気配が誰であるか姿を見なくてもわかった。
「おはようございます、お嬢様」
振り向きざまにそう言うと、愛理は少し驚いた様子だった。
「な、なんでわかったの? ちょっと驚かそうと思ってたのに……」 「お戯れを、お嬢様。それより、このようなお時間に…如何なされましたか?」
普段はそれこそ淑女というに相応しい行動をする愛理であったが、根は意外と奔放であることをナカムラは知っている。 何しろ、幼少の頃より仕えている。愛理の性格は知り尽くしていた。 今のそれは、まさに普段のそれであった。 ただ、それは今まで抱えていたものを放棄したからこそ取り戻せたものであって、ナカムラにはその姿が逆に痛々しく感じた。
「ええ…その…ちょっと気晴らしにドライブに行きたいんだけど」 「ハッ。畏まりました、お嬢様」
素早く洗車道具を片づけたナカムラは、後部座席のドアを開けて愛理が搭乗するのを促した。
*
「寝静まっている街ってのも結構絵になるわね、ナカムラ」 「ハッ、お嬢様」
ルームミラーに映る愛理はずっと窓越しに外を眺めていた。
『海から昇る日の出が見たいわ』
ナカムラはその愛理の命に従い車を走らせていた。 館のある高級住宅街を抜け、線路を越えて、目の前に広がる小山を一つ越えれば海岸線に出る。 ナカムラはその海岸線を左折し、国立天文台がそびえる島の近くまで向かおうと計画していた。
「お嬢様、このまま天文台の近くまで車を走らせますがよろしいですか?」 「ええ…任せるわ」
早朝という時間帯あって、海外線を行き交う車は殆どなかった。 また空は暗かったが、国立天文台がある東の空はしらんできていた。 ひたすら東に向かい、ナカムラは車を走らせた。 その間にも夜が徐々に明けていく。 あと10分程で目的地に着くだろうという地点で突然、ヘッドライトが人間らしい物体が横たわっているのを映した。 道のど真ん中に横たわっていたこともあって、避けられないと判断したナカムラは急ブレーキを踏む。 自然と身体が前屈みとなるが、迅速な判断もあって後ろで座っていた愛理も頭をシートにぶつけるような事態にはならなかった。
「ど、どーしたの? ナカムラ……」 「ハッ。道に人が倒れておりました」 「倒れてたって……」 「ご安心下さい。避けて通ります故……」 「何、馬鹿なこと言ってるのよ!? 事故にあっているのかも知れないじゃない!!」
愛理はそう言うと、ドアを開けて車から降りていった。 ナカムラもハザード・ランプをつけると、それに続いた。
「あ…あの…生きていますか……?」
愛理が呼び掛けてみるが、反応がない。 横たわっている人物に恐る恐る近づいて行こうとする愛理をナカムラは制すると、俯せで横たわっているそれの脇まで近寄った。 微かに背中が上下に動いている。どうやら生きてはいるようだった。 ただ、ひき逃げにあったのであれば、少し妙だった。 血の臭いがしない。当然、その人物の周りに血だまりもない。 ナカムラは頭をなるべく動かないように支えながら、その人物を抱き起こした。
「ヒゲ!?」
ナカムラの後ろで愛理が叫んだ。 愛理がヒゲと呼んだ人物はナカムラも知っている人間だった。 播磨拳児。愛理のクラスメートであり、過去、バイクでリムジンに突っ込んできた人物でもある。 そして、愛理が気にかけている人物であることも。
「お嬢様、どうやら播磨様のようです」 「知ってるわよっ!? でも…なんでこんな場所に…ねぇ、怪我してるの!?」
ナカムラは抱き起こした播磨の身体を観察したが、外傷はないようだった。 それより、呼吸に「ぐぅ」という音すら混じっている。
「見たところでは…怪我はないようです。どうやら…ただ寝ていたようかと……」 「ね、寝てたっ!?」 「ハッ。イビキも微かですが聞こえます。如何致しますか?」 「如何致しますか…って言われても……」 「埋めますか?」 「な、何言ってるのよ…って、こんな寒い場所に置いていくワケにも行かないし…と、とりあえず家まで運びましょ……」 「ハッ。畏まりました、お嬢様」
ナカムラは寝ていると思われる播磨を抱きかかえると後部座席に横たえさせた。 その後に続くようにして、愛理も車に乗り込んだ。 後部座席のドアを閉めて、運転席に乗り込んだナカムラは車を出発させる前にルームミラーを覗き込んだ。 愛理は複雑な顔で横たわっている播磨を眺めているようだった。
───このような場所で播磨様と会われるとは…奇妙な縁としか言いようがありませんな、お嬢様
サイドブレーキを倒してナカムラは車を発進させると、海岸線の先に広がる海から陽の上縁が姿を見せたところだった。
「お嬢様、日の出でございます」
後部座席に座っている愛理にそう呼び掛けた。 ルームミラーに日の出を窓越しに眺める愛理の姿が映っていた。
.....to be
continued
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