第三章 − 古都よりの来訪者 ( No.3 )
日時: 2005/09/27 06:12
名前: によ


 若さ、ということですかな。
 私も昔のコトを思い出しました。
 あれは南米の小国での極秘作戦で───
 と、これは既にお話ししましたか。
 申し訳ございません。
 つい、お嬢様のご勇姿に昔の血が騒いでしまいまして……
 いずれにしろ、このナカムラ、これまで通りお嬢様を陰より支える所存でございます。

 (執事のナカムラからの報告より抜粋)



 − 第三章 − 古都よりの来訪者



          1


「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ええ……」

 愛理はナカムラの挨拶に答えるのも億劫になっていた。
 学校からの帰り道に「冬休みはどうするの?」と晶に聞かれて、愛理は答えに窮してしまった。
 まだ祖母の提案に愛理は答えを出してはいないが、ほぼ決まってしまっているに等しかった。
 あの家のことを考えると、断るという選択は実際にはないだろうと思っていた。
 一度は母を勘当同然にまでした祖母である。
 それから十数年の月日が流れた頃、家の都合という理由だけで母と愛理をイギリスから日本に半ば強引に連れ戻したのも祖母だった。
 家長の権限は絶対である。そんな考えを持った祖母にどうして逆らえるのか?
 その日が来るギリギリまで愛理は何も考えないことでそのことを忘れ、辛い現実から逃れていた。
 それが「冬休みはどうするの?」という言葉で愛理の心にリアリティを伴って呼び起こされた。
 辛さが愛理の心に蘇りつつあった。

「お待ち下さい、お嬢様」

 玄関から真っ直ぐ自室へ向かおうとしていた愛理をナカムラが呼び止めた。

「どうしたの? ナカムラ」
「ハッ。お嬢様にお客様がいらしております」
「お客様? 今日は誰かに会う予定なんてないわよ……」
「それが…先程、突然ご来訪されまして。京都より大御所様がお見えになられました」
「お…お祖母様がっ!!?」
 
 愛理の顔から血の気がスーっと失せていった。
 用件はわかっている。そして、近いうちに答えなければいけないことも。
 ただ、直に来るとは愛理も想像していなかった。

「リビングにて奥方様とご一緒にお嬢様をお待ちしております」
「わかったわ…着替えてから伺いますと伝えておいて……」

 祖母から発せられる言葉がどのようなものか、愛理にとって想像するのは容易かった。
 出来れば拒絶をしたい。だが、愛理にとってそんな選択肢は存在するとは到底思えない。
 会うしかないという脅迫感から愛理にそう言わせてしまう。

「ハッ。畏まりました、お嬢様」

 愛理の答えを受け取ったナカムラはそのままリビングへと向かっていく。
 それを愛理は呆然と眺め、自分の心拍音がまるでカウントダウンのようにドクン、ドクンと高鳴っているのを感じていた。


          *


 部屋に戻って着替えた愛理は、重い足取りでリビングに出向き、扉の前まで来ていた。
 溜め息のような深呼吸をしてドアをノックし、部屋の中へと入った。
 ソファーに母と和服を着た老婆──祖母が歓談しているところだった。

「……ご無沙汰しております、お祖母様」

 愛理は祖母に深々とお辞儀をして挨拶をしたが、身体が微かに震えてしまっていた。

「久しぶりね、愛理。元気でしたかしら?」
「はい…お陰様で……」

 頭を上げると、テーブルに置いてあった封筒を手に取ると、腰を上げて祖母が愛理の近くに寄ってきた。
 小柄な祖母なので、愛理は真っ正面まで近寄った祖母を見下ろすようにして顔色を伺うが、祖母が持つ得体の知れない存在感から、まるで大きなものが自分の目の前に立ち塞がっているような感覚を覚えてしまった。

「早速ですけど…愛理、今日はイギリス行のチケットをあなたに届けに来たのよ」
「チケット…ですか? で、でも…私はまだお返事を……」

 祖母からの言葉は愛理の予想を上回るものだった。
 あまりに唐突で、あまりに理不尽な言葉に愛理は反論じみた答えを返してしまった。

「…何か不服でもあるんですか? 愛理」
「いえ…そのようなことは……」

 愛理の反論めいた言葉にその眼光を強くして、もう反論は許さないといった態度で祖母は聞き返した。
 その祖母の威圧に愛理は怯えたように口籠もることしか出来なかった。

「そうでしょう。あんないいご良縁はないわよ、愛理。チケットは少し早いけど、クリスマス・プレゼントとして受け取って頂戴」
「……はい」

 震える手で祖母から差し出された封筒を受け取ると、中には祖母が言ったとおり飛行機のチケットが入っていた。
 愛理は封筒からチケットを取り出すと、プリント・アウトされた内容を目で追う。

 ───そんなっ! いくら何でも早すぎる!!

 出発日が24日──クリスマス・イブだった。
 成田発ヒースロー行の片道チケット。
 愛理にとって最後通牒そのものだった。

「驚いているようね? 少し早い日程だとは思いましたが、イギリスであの人とクリスマスを過ごすことが出来ますよ。愛理もその方がいいでしょう?」

 祖母が言う「あの人」とは父のことだった。
 旧華族でもあった沢近家は父と母の交際に猛反対していた。
 当時の父は沢近家にとっては何処の馬の骨ともわからない存在だったからだ。
 今の父は世界有数の大企業の最高責任者でもあり、家系はナイトの称号を持つ由緒ある家柄の出でもある。
 しかし、父は当初、その身分を明かしていなかったこともあって、目の前にいる祖母は「血筋の知れない者」として父を毛嫌いしていた。
 そんな折り、母が私を身籠もり、それに激昂した祖母は母を沢近家から追放した。
 祖母は既に父の出処については知っているはずだが、当時の恨みにも近い感情から今でも父のことを一族のひとりとして認めていないし、母と籍を入れることも許してはいなかった。
 そういった事情から祖母は父を「あの人」呼ばわりする。
 実のところ、愛理は最も敬愛する父をそのように呼ぶ祖母を本心で嫌っていた。
 だが、父と同じく敬愛する母は昔から京都で箱入り娘として育てられてきたこともあって、イギリスの生活には馴染めていなかった。
 イギリスで暮らしていた頃の愛理は母が望郷の念から隠れて泣いていたのを何度か見てもいた。
 今の母は故郷である日本に戻ってきたのもあって幸せそうだった。
 父と離れて暮らすことは悲しいとも聞いたこともあったが、当時から仕事が忙しかった父は殆ど家を留守にしていたので、実際には離れて暮らしているのと同じだったし、父もそんな母をずっと不憫に感じていたのだろう。
 数年前、あまり子宝に恵まれていなかった沢近家にある不幸があって祖母の血が流れる孫は私ひとりとなってしまった。
 そして、祖母が母と私を日本に呼び寄せようとし、父は快諾した。
 そんな事情を持つ母が日本で頼れるのは沢近家しかない。
 愛理はそのことを知っている。だから祖母にはどうしても逆らえない。いわば母は愛理にとって人質にされているのも同然だった。

「お母様、愛理のためにお気遣いありがとうございます」

 今まで無言でずっとソファーに座っていた母がそう口を開いた。
 愛理にとって、その母の言葉は決定打となった。
 にこやかな笑顔で祖母にお礼を言う姿は祖母の提案に全く異存がないとしか愛理には映らなかった。

 ───お母様も…私がロンドンに行くことに賛成なんだ……

 愛理も母も祖母に逆らえないことはわかっていた。
 ただ、一縷の望みとして母だけにはほんの少しでも祖母に抵抗をしてくれるものだとも期待していた。
 しかし、そんな期待も今となっては泡となって消えてしまった。
 愛理は抗う気力も失せ、絶望感に打ち拉がれた。

「…お祖母様、ありがとうございます……」

 愛理は囁きのような小さな声でそう言うしかなかった。
 そのあと、祖母に勧められるがままに愛理はソファーに腰掛けた。
 祖母と母が笑顔で何かを話していたことだけしか覚えていない。
 あまりにも虚ろだった。



          2



 時計の針が11時を回った頃、晶は携帯電話を取り出した。
 アドレス帳の画面を開くと、カーソルを「周防美琴」にあわせて通話ボタンを押した。
 トゥルル…トゥルル…と呼び出し音が耳元に響き、5回ほど繰り返されたときに繋がった。

『もしもし、高野か?』
「ごめんなさい、美琴さん。こんな夜遅くに電話しちゃって」
『あー、いいよ、別に。まだ寝てなかったし…ってか、寝付けなくてさ。で、どうしたんだ?』
「明日、時間ある?」
『明日? う〜ん、午前中なら特に何も予定ないけど…午後は道場の用事がさ』
「午前中で構わないわ。一緒にお茶でも飲まない?」
『あ…ああ、いいけど。それより、また何でお茶なんだ?』
「ええ、美琴さんと相談したいことがあるの。愛理のことで」
『おっ!? 何か愛理のコトでわかったのか?』
「残念ながら今は何も。でも、手をこまねいて見守るだけっていうのは性に合わないから」
『そーいうことか。確かに押してダメなら引いてみろ、っていう諺もあるしな』
「それ諺じゃないわよ、美琴さん」
『なっ…まあ、それはいいや。で、どうすんだ? 高野のことだから何かあるんだろ?』
「モチのロン。明日、愛理と天満も誘って、愛理に正面切って質すつもり」
『正面切ってって…つまり、愛理に直接何を悩んでいるか聞くってことか?』
「そう。もちろんストレートに聞いたりはしないけど。それで美琴さんにはフォローをお願いしたいんだけど」
『ああ、いーぜ。私もさ、もう本人に聞くしかねぇと思っていたし』
「じゃあ、そーいうことで、朝11時にメルカドでいい?」
『わかった、朝11時な』

 用件を伝え終えた晶はお休みの挨拶を美琴と交わすと電話を切った。
 学校から家に帰ってきて色々と考えた晶であったが、情報が殆どない現状で有効な手段は正攻法──直接聞く、という方法しかないという結論に至った。
 直接聞くといっても愛理のことだから、播磨絡みの話はまず望めそうにもない。
 ただ、晶にとって「そっちの方」はある程度の情報は既に持っている。
 情報がないのは「冬休みの予定」の方であった。
 学校からの帰り道、愛理は明らかに「冬休みの予定」に反応していた。
 その時は愛理が落ち込んでしまったので、晶は気遣ってそれ以上冬休みの話題を出さなかったが、明日はあえてその話題に集中しようと思っていた。
 同じように愛理の変化に気付いた美琴なら、先程の電話でその意図を察することが出来るだろう。
 それに色々と道場の用事があるとも言っていた。その中にはクリスマス会や忘年会、初詣といった行事が当然含まれているはずである。
 気さくな美琴のことだ。絶対にその行事に愛理を誘うに違いない。
 更に愛理の様子には気付いていないであろう天満が、いつも通りその話題を盛り上げてくれるという予想もしている。
 そういった状況下であれば、愛理も何か喋るであろうと晶は踏んでいた。

 ───明日になれば…何かがわかるわ

 晶は心の中でそう呟き、部屋の電気を消して床についた。




.....to be continued

 

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