第一章 − 彼女の違和感 ( No.1 ) |
- 日時: 2005/09/26 02:52
- 名前: によ
美琴から話を聞いた!? 何の話よ…って、渡英のこと? はぁ…意外とお喋りだったのね…美琴は。 ホントはあんまり思い出したくないんだけど…… えっ!? ち、ちょっと、わかったわよ。話せばいいんでしょ、話せば! 全く…仕方ないわね、晶の頼みだし。 あの時はそうね…ホント、混乱の極みっていうのかしら? もう何がナンだかわからなくなって……感情が麻痺しちゃって。 悲しくもなければ、辛くもない。 楽しくもなければ、嬉しくもない。 今でも思い出すとゾッとするわよ…… あ…そうそう、あの時は心配かけちゃったわよね。 改めて謝るわ。ホント、ごめんなさい。 それとありがとね。晶が『後悔だけはしないほうがいいよ』って言ってくれたでしょ? 最後はあれが支えになったわ。 えっ!? 今は? 後悔なんてしてるわけないでしょ! 私は後悔なんて今までしてないし、これからだってしないんだから。
(茶道部で晶と交わす愛理の会話より抜粋)
− 第一章 − 彼女の違和感
1
愛理は少し早めの時間に起きてしまった。 窓から覗く空はまだ少し朝焼け立ちこめていた。 ベットから起きあがると、愛理は瞼が重い感じがしてそっと手で触れてみた。 微かに腫れている感じだったが、それを気にすることなく、まだ寝起きで定まらない足取りでバス・ルームに向かった。 殆ど無意識に夜着と下着を脱いで、シャワーを浴び始めた。 壁に設置されている鏡が赤く腫れた瞼を映していた。 普段の愛理であれば瞼を腫らすなんてことは一大事であったが、それを気にする気力もなかった。 シャワーを浴び終え、なんとなく化粧台の前に座ってメークをして、髪を整える。 制服に着替えて、朝食を取るためにダイニング・ルームへと向かう。 途中、廊下ですれ違ったメイドと挨拶を交わす。 ダイニング・ルームへ入るとナカムラが既に待機しており、朝の挨拶を交わしてから席に腰掛ける。 普段の日常だった。 ただ違うのは、愛理は何も考えていなかった。考えていないというよりは放心状態だというほうが適切なのかもしれない。 今日の愛理の行動は全て幼少の頃から教えられてきた淑女たるべきマナーと生活習慣からの条件反射だった。 そして、普段と同じように朝食を取り終えた愛理は、はやり普段とは変わらぬ様子で学校に行く支度をすると家を出て行った。
2
「沢近、おっはよー。おっ!? 今日は大丈夫そうだな。昨日は元気がなかったから心配してたんだけどさ」
美琴は愛理が教室に入ってきたのを見つけると、真っ先にそう声をかけた。
「おはよう、美琴。そんなに元気がなかったかしら?」
愛理は不思議そうな顔をして首を少し捻って、少し抑揚のない声でそう言った。
「あ…ああ。まぁ、アレだ。元気ならそれでいいんだけどさ、あはは」
頭を掻きながら美琴はそう言った。ただ、表情は少し引きつった笑いをしてしまった。 違和感。朝の挨拶を交わした美琴は愛理の態度にそう感じてしまった。 具体的な理由はない。愛理の顔色も悪くはないので、今日も具合が悪いということはなさそうだった。 口調も普段とは一緒だ…しかし、何とも言えぬ引っかかるものを感じた。 記憶の糸を辿っていくと、初めて会った時の愛理に似ているとも思った。 愛理は出会う前から学校では有名なお嬢様だったこともあり風聞は聞いていた。 女子生徒から聞く彼女の噂はあまりいいものではなかった。 容姿端麗なことと如何にも令嬢ですというしとやかな態度で男子生徒からもてまくっているけど、何か勘違いをしているんじゃないか、と。 要はやっかみ以外の何ものでもなかった。 そんな時、映画館の前で愛理を見かけて、そんな風聞をどことからなく聞いていたのか、とにかく落ち込んでいる様子だったので声をかけてみた。 美琴はその時、たまたま道場で芋煮会があったので誘ってみた。その芋煮会の席で初めて彼女の地を見ることが出来た。 それ以来の付き合いだ。 ただ、あの時は世間一般に思われている令嬢を装っているだけだったが、今はそれとも少し違う気もした。
───まあ、何かあるんだったら相談してくれるだろうしな。
美琴は愛理に感じた違和感による心配を一笑に付すようにかき消した。 あの頃とは違い、今はお互いを親友と認めている存在である。 何かあるのであれば、きっと相談してくるだろう。 それが親友ってもんだ、と美琴は思った。
「おはよう、愛理。美琴さん」
美琴が愛理に感じた違和感に対してそう結論づけたとほぼ同時に晶が教室に入ってきた。 「よっ! おはような、高野」
美琴は即応で挨拶を交わし、晶は手に持っていた鞄を机にかけようとした。
「おはよう、晶」
続いて、愛理も晶に朝の挨拶をした。それと同時に一瞬だけ晶の動きが止まったが、そのまま鞄を机にかけて席に腰掛けた。 腰掛けた晶はじっと愛理を見つめていた。 ただ、普段から無表情なので何を考えているのか美琴には察しがつかなかった。
「ん? どうしたの? 晶。なんか私の顔についてる?」
愛理も晶に見られていることに気付いたのかそう言った。
「いえ、別になんでもないわ。それより、昨日は具合が悪かったようだけど今日は平気なの?」 「さっき美琴にもそう言われたけど、そんなに具合が悪かったかしら?」 「見た目にはね。今日はそんな風には見えないけど……」 「ふ〜ん。まあ、私はこの通り元気なんだけど」 「そう…それならいいわ」
───高野も何か感じるコトがあるのか?
晶の愛理に対する行動が不可解だったので、そう思った。 先程、一笑に付した心配が蘇る。 晶は美琴より愛理との付き合いが長い。 自分よりも何かを強く感じたのかもしれない、と美琴は感じられずにはいられなかった。
───ま…あとで聞いてみるか……
美琴はとりあえずそう思った。 とりあえず、というのは今は何となく少しだけこの場が重くなっているのを感じていたからだ。 それに、愛理本人の前で晶に「沢近の様子がヘンじゃないか?」なんてことも聞けない。 美琴は場を和ませようと別の話題に切り替えるべく、一端自分の机に戻った。 鞄から一冊のファッション誌を取り出して、愛理と晶がいる机に引き返した。 晶の机にそれを広げ、今年の流行ファッションや新作デザインのことで場を盛り上げようとした。
「昨日さ、これを買ったんだけど、今年はこの色が流行るのかな?」 「珍しいわね。美琴さんが流行を気にするなんて」 「なっ!? 私だってファッションぐらい気にするさ。なあ、沢近?」 「そうね…美琴は清楚な服を好んでいるし。ただ、流行を追うのはどうかしらね?」 「ったく…どいつもこいつも言いたい放題じゃねーか!?」 「仕方ないわよ、美琴さんのキャラじゃないし」 「……まあ、そうかもな。でさ────」
愛理や晶が言うとおり、美琴は普段は流行なんてものは気にしなかった。 街のショップで気に入ったデザインの服を買っているだけだ。 単に話を盛り上げようと努力し、それが実りつつあった。 その時、教室の入口から大きな声が響いた。
「皆、おっはよ〜!」
声の主は天満だった。 いつも元気がいいが、今日は特にいい。 美琴はその理由は一瞬で理解した。先週の誕生日会がお開きになったあと、天満の想い人である烏丸が家まで来てお祝いをしてくれたということを天満本人から聞いていた。それに、その烏丸は昨日まで学校を休んでいたが、今日は出席をしていた。きっと烏丸の姿を教室に入った瞬間に見つけたからだろう。
「おはよ〜、塚本」
美琴は自分の机に向かっている天満に声をかけて、こっちに来るよう手招きをした。 天満は鞄を机にかけると、嬉しそうな顔で美琴達の輪の中に溶け込んだ。 愛理と晶も天満に挨拶をすると天満はふたりの挨拶に天満は笑顔で答え、「これを見てみろよ」といったジェスチャーをしている美琴の隣に寄っていった。
「なになに? 美コちゃん?」 「いやさ、今、この雑誌を見てるんだけどさ、塚本ならどれがいいと思う?」
美琴が指差しているページに天満はもっとよく見ようと顔を近づけようとして時だった。 天満は何かを思い立ったかのように愛理の方に振り返った。
「愛理ちゃん。今日はなんだか様子が違うね?」 「えっ!? もしかして天満も昨日のことを心配してくれてたの?」 「あ…そっか。昨日はなんか元気なかったよね。でも、今はそうじゃなくて…今日は何だかお嬢様っぽいなぁって。さっすが本物のお嬢様は違うね!」
今までその話題については触れてはいけないような気がしていたことを天満は笑顔で言った。 思わず美琴は呆れてしまった。 「何いってるの、天満? 私は常に淑女としての嗜みを忘れていないわよ」 「そっか〜、私も淑女になれるかな?」 「どうかしら? 天満は少し慌てん坊なところがあるから……」 「ひどいよぉ、愛理ちゃん」
心配していたコトとは裏腹に愛理と天満の会話は和やかそうだった。
───私の心配事っていったい……
美琴はそんな光景に頭を抱えたい気持ちで脱力してしまった。
3
もう今日の授業も全て終わり、クラスメートが帰宅して行く中、晶はひとり自分の席で愛理のことについて物思いに耽っていた。 晶は学校にいる間、さりげなく愛理を観察していた。 今朝からなんとなくだが、愛理に感情がこもっていないような気がしていたからだ。 しかし、仮に感じている違和感が当たっていたとして、その原因が晶にはわからなかった。 それに昨日の落ち込みようとのギャップも激しい。 美琴や天満は具合が悪いと思っていたようだが、晶は愛理は落ち込んでいると思っていた。 昨日までのその落ち込みの原因も何となく察することも出来た。 愛理が落ち込むことと言えば、播磨のことでしかない。 一瞬、愛理が播磨に告白して振られたということを思い浮かべたが、瞬時にそれを否定していた。 晶は愛理の性格分析の結果から、それはありえないと感じていた。 また、昨日の播磨の様子も特におかしなところはなかった。 同じく播磨の性格分析の結果から、仮に告白を受けていれば何らかのリアクションをするはずであったからだ。 そのことからほぼ間違いなく告白して振られたとかいう事実は存在しないと思っている。
───はやり、あのコトについては何も触れないほうが良かったかもね…でも、それにしても……
あのコトというのは先週愛理から問われた質問についてだった。
『播磨君は天満のことが好きなんじゃないの?』
この質問に晶は「言えない」と答えた。 しかし、これは答えを述べているに等しい。 それに「後悔だけはしないほうがいいよ」とも言ってしまっている。 愛理があまりにも素直になれず悶々としている姿が痛々しくもあって、不干渉主義を曲げてまで最大限の後押しをしてしまった。 今、晶はそれを後悔していた。 何があったかは愛理自身が語ってくれないこともありわからないが、愛理を余計に苦しめる形となったのは確かだ。 しかし、今日はまた別物でもあった。 有り体に推察するともう何も考えられなくなって感情が麻痺しているというのが正しいだろう。 しかし、そうなるには別の原因が必要だとも晶は思った。 それが一体何なのかがわからない。 状況証拠として唯一わかるのが、昨日の帰宅から今朝にかけて愛理の身に何かが起こったであろうということだけだった。 晶は今の愛理の様子に責任も感じていた。 愛理が苦しんでいるのは確実に自分の軽率な行動も一端であると断定出来るからであった。 出来ることならその苦しみを、陰ながら少しでも緩和させてあげたいとも思っていた。
「高野、帰らないのか?」
晶の後ろから美琴の声が響く。 後ろを振り向いた晶は美琴の姿を見たあとに教室を見渡すとクラスメートは殆ど帰宅しているようであった。
───どうやら長い間考え込んでしまっていたようね。
何事にも予定を立てて行動する晶にとって、時間の経過を忘れることは珍しかった。 ただ、それだけ真剣に考えていたことも意味していた。
「ええ、今帰ろうと思っていたところよ。それより、美琴さん。愛理と天満はもう帰ったのかしら?」
教室にふたりの姿がなかったこともあって、晶は美琴にそう尋ねた。
「ああ…ふたりとも掃除が終わったら帰ったよ。私は日直の仕事があったから今まで学校にいたんだけど」 「そう。一緒に帰る?」 「そう思ったから声をかけたんだけど」 「それもそうね。じゃあ、少し待って。今、支度するから」
晶はそう言って、帰り支度をした。 支度といっても鞄を手に持って席を立つだけだった。
「じゃあ、帰ろうか」 「あ…ああ……」
晶が支度とまで言ったのでもう少し長い時間がかかるのかと思った美琴は、そんな予想を裏切る晶の行動に呆気にとられるだけだった。
*
「なあ…今日の沢近さ、ちょっと様子がヘンじゃなかったか?」
校門を抜けて矢神坂を下り始めた時、美琴はそう話を切り出してきた。
「美琴さんも気付いた? 私もそう思っていたところよ」 「やっぱ、高野もそうか…今朝、塚本も気付いたぐらいだったしな……」 「何か思い当たるフシでもある?」 「いや…全然。高野は?」 「私も一緒よ」 「そっか…なんつーかさ、昨日といい今日といい、沢近大丈夫なんかな?」 「確かに少し心配ね」
晶は美琴との会話にほんの少し嘘をついた。 今日のことは全くわからないが、少なくとも昨日のコトは予想がついている。 ただ、これはプライベートな話なので当然ながら言えない。 それと美琴がこれ以上心配しないように「少し心配」とは言ったが、実際のところはかなり心配をしていた。
「とにかく、今は見守るしかないと思うよ、美琴さん」 「ん〜…そっか、それしかないか……」 「ええ。何かあれば、いずれは私達に相談してくれると信じているし」 「おっ!? やっぱ高野もそう思う? 私もそう思っていたんだ」 「思うわ。私達、親友だし」 「だな」
夕日の輝きもあって、晶は美琴の姿が妙に眩しく見えた。 それに頼もしくも感じる。 それから晶と美琴は愛理の話題も絡めて帰り道をずっと話ながら歩いていた。
「じゃあ、私はこっちだから。何かあったら教えてな」
帰宅途中にある十字路につくと美琴はそう言ってきた。 教えて、というのは愛理のコトだろう。 晶は当然──愛理のプライベートに係わる話ではない限り、美琴にも相談するつもりだった。
「ええ。じゃあ、また明日」 「ああ、またな」
お互いに手を振り合いつつ、愛理のコトを心配しつつ、それぞれが家路についた。
*
愛理がまるで感情を殺してしまったように感じた日から毎日、晶は愛理の言動に注視していた。 少しずつではあるも愛理の口数が多くなった気はしている。 何かに傷つき、時間がその傷をほんの少しずつ癒してくれているのだろうか? 晶はそんな思いに至ったが、同時に、
───単に気にしすぎているだけ?
不意にそうとも思えてしまった。 ずっと違和感を感じていることは確かだが、傍目には普段と全く変わらない。 それに愛理から晶に相談事のようなことも言ってもきてはいなかったし、別ルートからもそのような情報が入ってくることもなかった。 以前から──愛理に限ったことではないが、クラスメートに何かあると情報提供をしてくれる人物がひとりいる。 特に、というか女子生徒の変化に限っては目敏い彼のコトだ。 愛理が播磨と何かあったのであれば、そこから情報が入ってもおかしくはないが、それもない。 それに愛理については播磨のこと以外に何か悩みを抱えているようなフシは今までなかった。 全く情報がないのであれば、存在そのものがないという可能性もある。 そう判断して思ったことだった。 晶はそうは思っても、胸騒ぎのようなものが消えるわけでもなく、結局のところ引き続き様子を見守ろうという結論に達した。 ただ、明日で2学期が終わる。明後日からは冬休みだ。 休みに入ってからは四六時中愛理と会っているということも出来ない。 バイトも入っているし、愛理自身の予定もあるだろう。
───何もなければそれに越したことはないんだけど……
今の晶はそう願うことしか出来ず、それが歯がゆくも感じていた。
.....to be continued
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