Re: Be blue (愛理、播磨他) ( No.5 ) |
- 日時: 2005/09/16 21:23
- 名前: によ
−第五章−
「お待ち申し上げておりました、沢近様。林様は既にご到着されております」
レストランに入ると、私を見かけたフロアマネージャーのひとりがそう声をかけた。 ここのレストランは何回か来たこともあるので、顔なじみとなっている。 その『杜乃館』という名前に相応しく、ライトアップされた四季折々の風景が楽しめるレストランで、気に入っているレストランでもあった。 もちろん、食事のほうも素材から厳選しており、この辺りでは最高級のレストランだ。
「ご無沙汰していましたわ。林様にお待たせさせてしまったかしら?」 「いえいえ。林様もつい先程ご到着されたばかりで…お席にご案内致します」 「ええ、お願いするわ」
そのフロアマネージャーに案内されるがままについて行くと、お母様、正確にはお祖母様より会うようにと頼まれた林さんが席に腰掛けていた。 お母様より伺った話だと関西経済界の重鎮である某財閥の会長の孫にあたるらしい。 確か…今年、大学を卒業したばかりと言っていたから年は23才ぐらいだろう。
「林様、沢近様がご到着されました」
そう声をかけられた林さんは私を一瞥すると席から腰をあげて、
「はじめまして、沢近さん。林です」
と挨拶をした。 意外と…といっては失礼だけど、結構格好いい部類の男性だとは思う。 以前の私なら『いい男ね』という感想を持っただろうけど…今はどんな男性だろうと色褪せて見えてしまう。 そう…アイツが私の目の前に現れるようになってからは……
「お待たせしました、林さん。沢近愛理です。今日はよろしくお願いしますわ」 「こちらこそ。どうぞ、お席におかけになってください」
林さんにそう促されて、私は席に腰掛けた。 「食前酒はいかがいたしましょうか?」 「沢近さんは何になされます?」 「そうですね…ピーチャー・キールを」 「畏まりました」 「じゃあ、僕はビールで」
意外だった。食前酒でビールを頼むなんて。 別にビールが悪いわけじゃない。ごくごく普通の選択だと思う。 でも…今までこの手の人と食事をするときは必ずといっていいほど、やたら高いシャンパンや白ワインを頼む人ばかりだったから…… その普通さが、ほんの少し私に新鮮さを与えてくれた。 程なくして、注文した食前酒が届くと、まるで式次第を事務的にこなすかのように乾杯をして、食事を注文して、私達はごく当たり障りのない会話に没頭していた。 会話は弾んでいた。 所謂その辺にいそうなお金持ちのボンボンとは違い、やたら金持ちを自慢するような話は一切ない。 本当に普通の話題だ。 TVのドラマの話や、最近流行っている曲の話、趣味の話やら大学時代の思い出等々。 ホント、以前の私なら『いい男』と思っただろう。 もし、デートに誘われるのなら、きっと誘われるがままに行っていたに違いない。 でも…ごめんなさい、林さん。今の私はそんな気持ちを抱くこともないわ。 次々にサーブされる料理を会話を楽しみながら食べつつも、心の中でずっとそう感じていた。 何故なら、どんなに楽しい食事でも今の私は作り笑いをしている。 外向きの笑顔、外向きの会話…本当の私ではない。 本当の私をさらけ出せる男性は今のところたったひとりしかいないんだから……
「たまにここに来るんですけど、ここの料理、結構気に入っているんですよ。沢近さんはどうですか?」
食事も既に終わって、デザートとお茶がサーブされた後、彼はそう聞いてきた。
「ええ。本当にここの料理は美味しいですわよね」 「そうですよね。沢近さんも何度か来られたことがあるんですか?」 「何度か。ただ…少し紅葉の見頃が過ぎてしまっているのが残念でしたわ」
そう言って、窓越しに見えるライトアップされた景色を眺めた。 すでに紅葉している木々は数えるほどしかない。冬が到来していようとしている証拠だった。
「確かに…でも、こうやって季節の移り変わりを眺めていると、枯れてしまった木々も何となく趣があるような気はします……」
彼も外を眺めながらそう言い、何故かその目は遙か遠くを眺めているようにも見えた。 何故、彼がそんな目をしているのかわからないけど…私にはあるメッセージを彼に伝えなければならない。 それがちゃんと伝わるかわからないけど、この人ならきっとわかるだろう。
「すみません。ちょっと化粧室に行ってきますわ」 「あ、ええ。わかりました」
私は彼にそう行って席を立ち、化粧室へと向かった。 目的は2つ。口紅を引き直すためと、ここのお会計を済ませてしまうため。 本来なら、彼の出方を待って…なんだけど、彼に奢ってもらうわけにはいかなかった。 その気が全くないのに奢ってもらうのは悪いし、何より自分で彼の分も払ってしまうのが私なりの『ごめんなさい』というメッセージなのだから。 そして…予定通りに化粧を直して、お会計を済ませようとしたその時に運命の瞬間が訪れようとするなんて想像も出来なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
化粧室から出て、私は真っ直ぐレジに向かった。 レジの近くここに来たときに席まで案内してくれた人がいて、私はおもむろに、
「紅葉には少し遅かったかしら?」
と声をかけた。
「そうでございますねえ。2週間位前が見頃だったかと」
やはり少し遅かったようね。 林さんがいい人だったのでここへ来る前の憂鬱さを既に軽くしてくれていた。 なので、私は景色を楽しむゆとりもできたんだけど…一面の木々が紅葉している景色を見ることが叶わなかったのが少し残念でもあった。
「お支払いはカードでよろしくて?」 「ハイ、もちろんでございます」
雑談を切り上げて、予定通りの行動に移った。 林さんには申し訳ないけど、お祖母様の顔も立てているので、後は私の好きなようにさせてもらうわ。 私は財布からカードを取り出そうとした時、私の耳にある言葉が微かに届いた。
「こ……紅葉は2週間前位が見頃でしたか…」
さっき私が話した雑談と妙に似た会話。だけど…この声は…… ここでは聞こえるはずのない声に一瞬幻聴かと思って、私は周りを見渡したけど、近くにはその人以外誰もいない。 更に声が聞こえてきた方に向かってみると、丁度さっき居た場所からは死角になった場所でチーフマネージャーとある男性が話しているところだった。 思わず目を擦ってしまった。 そこに居た男性は確かに播磨拳児…ヒゲだったから。 なんでこんなところに? それより、ヒゲがここで食事するには高すぎるんじゃない?
「…い、いや。だから…紅葉ってキレイっすよね……」
な、なんだかワケのわからないことを言っているわね…… って、どうしてヒゲがここにいるのよ! 声をかけようとした瞬間、
「ちょ、ちょっとトイレに……」 「……こちらでございます」
ヒゲはそうチーフマネージャーに言って、私とは反対方向に案内されてしまい、その姿を消してしまった。 運悪く…というのかわからないけど、私は声をかけるタイミングを失ってしまった。 そして、さっきの疑問がまたリフレインする。 なんでここにいるの? そして、もう一つの疑問も生まれていた。 ひとりできてるの? それとも誰かと一緒に? そう思った瞬間、私はフロアの入口へと走り出していた。 フロアをくまなく眺めると、私達が座っていた席とは反対側の隅に見覚えのある人影が映った。 晶に、確かヒゲの弟の修治君、それに後ろ向きなので顔は確認できないけど、あの髪型は天満だ! 今日は30日。天満の誕生日だ。 その天満がここにいるということは誕生日のお祝いなのだろう。 そこに晶がいるのはわかる。 でも、ヒゲとその弟が何故いるの? その時、私の身体に電流が走ったような錯覚に陥った。 そういうことなの…ヒゲ…… あなたが好きな人って天満だった…の……? 女バスであなたは機嫌が悪かった…あの時、天満は東郷君と仲良くしていた…… 教室でよく窓を眺めていたけど、その間には天満がいるわよね…… 私達を賭け事に利用したのも天満が理由だった…… そして、今、ここに天満がいる…… 全ての記憶に…私が見た彼がいる風景にはどこかに天満が殆ど必ずといっていいほどいる。 夏に皆で海に行ったときも、体育祭での騎馬戦も、文化祭でも、美琴の家での芋煮会でも、カレーミュージアムにも…… でも…私だっているじゃない! そうよ…勘違いよ……偶然よ! だって、私と天満は親友なのよ。いつも一緒にいて当然じゃない…… でも…今日は……? その時、微かに扉の開く音がした。 ほんの少しして、彼が…播磨拳児がレジの前へと戻ってきた。 サングラスをかけていても、よく知っている人間が見れば…彼の顔色は真っ青だった。 レジでヒゲが真っ青になるなんて…理由は一つしかない。
「あっ、あのっ!!」
彼が大きな声で何かを言いかけた時、私の身体は無意識に彼のすぐ後ろまで忍び寄っていた。
「こちらの会計も一緒でお願いします」 「………へ?」
ヒゲは私の声に気付いてこちらに振り向いたけど、私はそのまま彼の前に進み出て、チーフマネージャーにカードを差し出した。
「これはこれは沢近様。林様との会食はいかだでしたか?」 「おいしい御食事のおかげで会話も弾みましたわ」
そう言葉を交わして、チーフマネージャーは私のカードを受け取りレジを動かし始めた。
「え……? お嬢……なんでここに…」
拍子抜けしたような、情けないようなそんなヒゲの声が聞こえる。 私は見たくない。彼の情けない姿なんて。 少なくとも私の目の前では…たとえ、彼が誰のことを好きであろうとも…… 私は彼を一瞥して、
「天満のお祝いでしょ。女の子を待たせるものじゃないわ。1年に1度くらい花を持たせてあげるから、早く席にお戻りなさい」
と言った。 そうよ…女の子を待たせるような情けない真似は私が許さない。 アンタはいつも逞しくあるべきなのよ…少なくとも私の目の前ではね……
「す、すまねぇ…お嬢……」
だから…情けない声なんて私に聞かせないでよ…お願いだから…… 私の心が砕けてしまうじゃない…私の大切なものが……
「いいから、席に戻るわよ」
今度は彼の顔を見なかった。いや、見れなかった。 これ以上…いえ、違うわね。 情けない姿を見たくないというのは言い訳ね。 本当は怖いから…自分の気持ちが抑えられなさそうで…… 気を強くしておかないと…全てが崩れてしまいそうで…… そのまま彼を見ないまま私は天満達が座っている席へと歩み寄った。
「あ──っ、エリちゃんも来てたの? 一緒にデザート食べよう!!」 「あら天満、偶然ね。じゃあ、お邪魔しようかしら」
本当に偶然ね…… そして、運命でもあるのかしら? 今はただ、私のプライドがひたすらに気丈に振る舞うことしか許してはくれなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「遅くなってしまってごめんなさい」
天満達の席から戻って、私は林さんにそう謝った。
「いえいえ。それより、あの方達はお知り合いですか?」
彼はお店を出て行こうとする天満達に一瞬視線を送ると、何事もなかったかのような笑顔でそう言ってくれた。 その中にはもちろんヒゲもいる。
「ええ…高校の同級生とそのご兄弟がひとりですわ」 「そうですか。こんな場所で会うなんて奇遇ですね」 「ええ…ホントに……」
奇遇…運命… 本当のところはわからない。でも…出来れば会いたくはなかった。 いいえ、見たくはなかった……
「じゃあ、私達もそろそろ行きましょうか。すみません、お会計を」
彼はそう言って、近くにいたチーフマネージャーに声をかけた。 そのフロアマネージャーはすぐに席にまで来て、
「本日はありがとうございました。ですが、お会計は既に沢近様より頂いておりますので……」
と言うと、それを聞いた彼は驚いた顔で「えっ?」と声を出した。 私は彼にその先の言葉を言わせないようにして、
「ええ。先程、支払いを済ませてきましたのでご心配には及びませんわ。では、行きましょう」 「あ…え、でも……」
彼はまだ釈然としないのか言葉に窮していたけど、私はそれを無視して、
「今日はごちそうさま。とても美味しかったですわ」 「ありがとうございます。またのお越しをお待ち申し上げております」
とチーフマネージャーに挨拶をして、戸惑う彼を横目にしつつレストランを後にした。 そして、お店を出たところで、
「あの…沢近さん。先程の支払いですが…出来れば私に支払わせて頂けないですか?」
と頼み込まれた。 けど、私は「本当にお気になさらないで下さい。私が好きでやったことですので」と頑なに拒み続けた。 彼は最後には「せめて割り勘にでも」と言ったけど、それも私が受け入れないことを知ると少し苦笑して、こう話を切り出してきた。
「わかりました、沢近さん。今日はご馳走になります。本当はこちらがご馳走をしなければならない立場なんですが……」
そして、急に真面目な顔になると、
「実はそれとは別に謝らなければならないことがあります。今日の食事は…その、沢近さんもご承知だとは思いますが、お見合いみたいなものでした。ですが…私には本来そんな資格はないんです……」 「えっ…資格って……?」
予期しない話で驚きつつも、私は彼の話を促した。
「実は…年明けすぐにロンドンに留学することが決まっているんです。MBAを取得するために。なので、私は最初、今日の食事については…ただ、お爺さ…いえ、会長より是非とのこともあって、どうしても断りきれずに……」 「そうですか…でも、ご心配には及びませんわ。私もまだ高校生です。その意味では……」
今は結婚する気などない、という言葉までは言えなかった。 林さんには申し訳ないけど、事情は私も同じようなもの。私の方こそ謝らなければならないのにね…… ホント、いい人ね。 昔のままの私なら…このお話を素直に受けていたかもしれない。 もちろん、実際の結婚となるとだいぶ先になるだろうけど……でも、今は……
「そう言ってもらえると、こちらも少し気が軽くなります。ただ…出来れば、こんなしがらみなんかない形でお会いできればと思いました」 「いえ…そんなことは……留学は大変かもしれませんが、ご活躍を期待しておりますわ」 「ありがとう。では…家までお送りしますよ」 「あ…いえ、今日は迎えが来る予定になっていますので…お気遣いありがとうございます」
そう言って、私は頭を深々とさげた。色々な意味で。
「そうですか…では、また機会があれば…御食事に誘ってもいいですか?」 「ええ…その時はまたよろしくお願いします」 「今日は本当にありがとう。とても楽しかったです」 「ええ…私もですわ。お気をつけてお帰りになってください」 「はい。沢近さんも……」
最後はそう社交辞令を交わして、今日の会食が終わった。 また食事に誘いたい、というあたりは林さんは私のことが気にいったのかもしれない。 でも、きっとすぐに忘れるだろう。 少なくとも、私があった男性の中では一番洗練されていて、紳士だった。 ただ、今日の会食は色々な意味で私の心は別の場所にあった。 あれほどの人だ。気付いていないことはないだろう。 それに、私にとっても、ただ食事を一緒にした。それ以外の意味はなかった。 林さんがレストランから去った後、ナカムラの車が私の目の前で止まった。 ナカムラは車から降りると「お迎えにあがりました」と後部座席のドアを開けて、私はそれに無言で車に乗り込んだ。 そして、静かに車は動き始めた。
「お嬢様、御食事は如何でございましたか?」 「ええ…林さんはいい人だったし…楽しかったわよ。ただ……」 「ただ…?」 「今日は疲れたわ……」 「…では、お屋敷までお戻り致します」 「ええ…よろしくね、ナカムラ」 「ハッ」
シートに身体を埋めると、私は目を瞑った。 今日はもう何も考えたくはない…… 埋まった身体がやけに重く、静寂の中に微かに響くエンジンの音だけが今、この場所を支配していた。
.....to be
continued
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