はなはり(播磨、花井)その3 ( No.2 )
日時: 2006/02/12 20:25
名前: あろ


『はなはり その3』

 門下生達の掛け声が道場に響く。身を切るほどの寒さにも関わらず、稽古の熱は一向に冷めない。
 その道場の隅で、花井(播磨)は仰向けに寝ていた。別段、サボっているわけではない。練習についていけないのだ。
 少林寺拳法の使い手では、全国でも有数の実力者である花井。とうぜん稽古でも多くの下段者の相手をしなければならないのだが、今日の花井はどうにもおかしい、普段ならなんてことはないただの小手や返しをかわせないぞ、と門下生達は囁き合っている。

(クソッタレが)
 とはいえ、播磨とてただの一高校生ではない。群れるだけの雑魚とは違う、喧嘩一筋の一匹狼として、数多くのワルと戦ってきた。
時にはドスを振り回すスジモン相手にさえ立ち向かったこともある。
 その研ぎ澄まされた播磨自身の闘争本能と、鍛えに鍛え上げた花井の体躯をもってしても、ここの門下生にまったく歯が立たないのだ。

 情けねー、こんなにも腕が落ちてたってのかよ。
ぼんやりと見つめる天井が重くのしかかる。歯軋りしながらも、播磨の内面では自嘲気味の心とは裏腹に、たぎってくる享楽が顔を見せ始めた。
(しょうがねーな)
 そう呟きながら、奮える身体を起こした花井(播磨)の口元は歪んでいた。

 “少林寺拳法に付き合う必要はねーんだよな”

「お、立ったか」
「今日はもうやめた方がいいんじゃないか」

 上段者たちの懸案もしかし、今日はいつもと違っている。
年下の花井の腕前に複雑な感情を抱いている連中にとって、今日の花井は普段の憂さ晴らしにもってこいの相手だった。
花井の父でもある師範にいいところを見せようなどという、了見の狭い武道家も少なからずいた。
いや、一人の凛々しい目をした少女に、でもあるが。

「いいから、さっさとこいよ」

 ザワ……
 いつもの落ち着いた、少なくとも道着を着ている時に見せる武道家としての顔は、どこにもない。
醜悪な笑みを貼り付けて、辺りを見回す花井(播磨)に、一人の精悍な男が名乗りあげる。
 若手の有望株で、花井よりは年上だが力は互角――二人を取り囲む様々な思惑もしかし、今の播磨には関係なかった。

「花井、これは組み手か、それとも仕合か」
「どっちでもいい。負けた言い訳にしな」

 花井(播磨)の言葉に僅かばかり顔をゆがめた男は、それでも冷静に頭を垂れ、気合の声を発する。
それを合図に、両者の戦いがはじまった。

「どうしたんだ、今日の春坊は」
「いいのか、弥三郎止めなくて」
「………」

 父親の眼前で、花井(播磨)は男の激しい蹴りを受けながら間合いを詰めていく。
急所さえかわせば早々と崩れる体ではないが、それでも重い打撃のダメージは蓄積されていく。そして焦ったところで不用意に出した攻撃をことごとく返されるのだ。

「だらぁ!」

 案の定、花井(播磨)は右拳で相手の正面を打つ。男は軽々と左腕でそれを受けとめ、そのまま左拳の裏拳を花井(播磨)の顔面にお見舞いした――その後、右の正拳突きをくらい、関節まで極められるだろう。先ほどから散々くらったパターンだ。
 しかし、今回は違った。
花井(播磨)の顔面に吸い込まれたはずの男の裏拳は花井(播磨)の頭突きに防がれ、しかもそのまま止まることなく、自分の左手ごと顔面に頭突きを叩き込まれたのだ。

「ぐはっ」

 鼻血を出して倒れる男の顔面に止めの蹴りを放つ花井(播磨)だったが、寸前で蹴りがとまった。

「これが少林寺拳法ってやつだろ?」

 なあ、メガネ?
 わざとらしく乱れた道着を整え、花井(播磨)は再び稽古場の中央に立つ。取り囲む門下生達に視線を向けながら。

「………まるで喧嘩だな」
「弥三郎!」

 誰もが動けない静寂に包まれた空気の中、父・花井弥三郎がゆっくりと花井(播磨)の前にすすんでゆく。
 そして、まっすぐに彼の正面に立ち、息子の顔を見据えた。

「やっとこの身体にも慣れてきた。次はもっとつえーぞ」
「その目………ただ事ではないな」
「花井!」

 悲痛な呼び声がする。どっかで見た女だ。

「美琴ちゃんが見ているぞ」

 ミコトチャン? 誰だそりゃ。

「あの子を悲しませるな」

 カンケーねえよ。

 先ほどとは違い、今度は花井(播磨)が先手を打ってきた。みなぎる自信ゆえか、それとも文字通りの父親ほどの年齢が相手だという判断からか。
 傍目には、花井(播磨)が父を押しているようにも見えるだろう。若さと凶暴さを兼ねた連打は、弥三郎を確かに追い詰めている。
 しかし、一瞬の判断ミスで瞬時に逆転されるのも事実。蹴りや拳の雨あられの中、弥三郎は花井(播磨)の不用意な一撃を焦らず待っていた。

(乗ってやるよ………)

 花井(播磨)が繰り出した大振りの正拳を掴み、弥三郎は手首を極める。
誰もが極まったと思った瞬間、花井(播磨)が全身の力を解放して身体を大きく捻った。関節を極める刹那の時間、そこから守りに意識はいかないはず――思いっきり引き剥がし、そのまま大技ハリケーンキックを食らわそうとした花井(播磨)の判断はしかし大きく間違える。

「なっ」

 引き剥がそうと身を翻した花井(播磨)の懐に弥三郎が踏み込んできたのだ。そのままもう一方の手を絡め、今度は逆方向に捻る。もちろん、花井(播磨)の関節を極めたまま、大きく投げ飛ばした。
 ワッという門下生たちの歓声と、畳に背中を叩きつけられる音はほぼ同時。そして拳を花井(播磨)の顔面すれすれで止める。

「これが少林寺拳法だ」

 花井(播磨)は呻きながら、拳を引っ込める超然とした弥三郎を見上げた。

「い、いまの技は…?」
「竜投(りゅうなげ)だ」
「竜投か……わるくねえ」
「……いい目だ」

 まるで憑き物が落ちたかのような、晴れ晴れとした花井(播磨)であった。


 花井家の食卓で、親子3人が黙々と食事をとっていた。
稽古での一幕は母親も当然知っていたが、笑顔で親子二人の顔を見比べていた。そんな視線に、花井(播磨)は居心地の悪さを感じていた。
(母親、父親…家族での食事か、何年ぶりだ?)

「ふふ、何だか今日のお父さん機嫌いいわね」
「ふん」
「あら春樹、箸がすすんでないじゃない。もしかしてまずかった?」
「いや………うまいっス」

 そう言いながら、花井(播磨)は悄然とした面持ちで食事を続ける。

(そっか………これは、メガネの生活なんだよな。アイツに申し訳ねーことしたな)

 食事を終えて台所で洗い物をしている千鶴に、花井(播磨)が歩み寄る。
そのまま、皿を洗い出した花井(播磨)に千鶴は驚いた顔を見せた。
「あら、洗い物なんていいのに」
「いえ、一宿一飯の恩がありますから」
「なに言ってんの」

 思わず噴き出す母親に、花井(播磨)も少し口を尖らせた。そして、それがちっとも居心地の悪くないものだと実感しながら。

(………チッ、メガネがうらやましいなんてな)

「こんちわー」
「あら美琴ちゃんよ。春樹、出てあげて」

 花井(播磨)が玄関に向かえば、やはりそこには美琴の姿があった。なにやら複雑そうな顔だ。

「周防じゃねーか。どうした?」
「………あー、ちょっと事務所いこうぜ」

 なにやら変なプレッシャーを感じる………
 美琴の後姿を見ながら、花井(播磨)は黙って道場の事務所についていく。その嫌な緊張感は、事務所で向かい合わせに座っても変わらなかった。
淹れてくれたお茶を啜る花井(播磨)に、美琴が口を開いた。

「何だったんだよ、今日の稽古は」
「いや、俺が悪かった。みんなにも申し訳ねーことしちまったな」
「ん、まあ最後にはみんなに謝ってたからいいんだけど、サ」

 素直に頭を下げる花井(播磨)に面食らったのか、美琴はほんの少し視線をそらす。
それでも詰問はやめない。

「なあ、なんかあったのか?」
「べ、別に何もねーよ」
「だって変だよおまえ」
「ど、どこがだよ」

 ごまかそうとする花井(播磨)に構わず、美琴が身を乗り出して、顔を覗き込んでくる。

「いーや、絶対に変だね!」
「そんなことねー! 俺はいつもの俺だよ!」
「じゃあ、言ってもいいのか」
「な、何がだよ」
「………今日、稽古ずっと見てたんだけどさ」
「え? あ、お、おお」
「おまえさ――」

 や、やっべえええ、なんでコイツこんなに鋭い? もしや、俺が播磨だってばれたんじゃ………




「なんでずーっとサングラスしてんだ? 稽古中から今まで。しかもサバゲーん時の」





「………へ!?」

 ぬおおおおお、しまった〜つい、いつもの癖で!!?
メガネの部屋にグラサンがあったから、そのままかけちまってたああ!――(続く)


おまけ
「母さん」
「なんです?」
「アイツは………何でサングラスしてたんだろうな」
「さあ?」


戻り