Mr. Summer Time

 
 
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たれはんだ



登録日: 2007年11月 26日
投稿記事: 9

投稿1時間: 2008年4月14日(月) 22:38    題名: Mr. Summer Time    

皆様はじめまして。たれはんだと言う者です。

随分前に2chにてほんの数本ですがSSを投稿しておりました。
ですが、書きかけのものも含め、全データがトラブルにより消失し
てしまい、しばらくの間書かずにおりました。
最近になり、バックアップデータの中に残っているのが発見されま
したので、改めてこちらに投稿させていただく事にいたしました。

何分、昔に書いたものですので、色々と気になる部分もあるかと
思いますが、生暖かい目で見ていただけると助かります。
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たれはんだ



登録日: 2007年11月 26日
投稿記事: 9

投稿1時間: 2008年4月14日(月) 22:39    題名:    

Mr. Summer Time

 チリーン チリーン

 風鈴の音。

 サー サー

 カーテンの音。

 (ん・ア・サ・?)

 目を覚ますと、いつもの部屋。
 私は普段通り、机の前に座って受験のための勉強をして、そのまま
眠ってしまったらしい。
 風でカーテンが少しだけ開き、太陽の日差しが入ってくる。昨日、
机の前に座ったのが午後6時ごろで、10時に姉さんが来て・・・

 (また、眠ってしまったみたい)

 昨日は久しぶりに良く眠れた気がする。ほんの少しだけだけど。

 (あ)

 ふと、壁にかかったカレンダーに目をやると、今日の日付にほん
の小さな黒丸と同じくらい小さな文字で『『あの人』と出逢った日』
書かれていた。

 今から2年前のこの日、私は『あの人』に出逢った。『あの人』は
クーラーの修理のために家にやって来て、そして伊織を助けてくれた。
伊織は家で買っている猫の名前。『あの人』は動物の気持ちがとても
分かる人。あの時はとてもうらやましかった。私にはわからなかった
から。

 コンコン

 「ねぇ。八雲、起きてる?」

 いつもの髪を覗かせたあと、姉さんがドアから少しだけ、部屋の中
を覗き込んだ。

 「起きてる、八雲。あっ、起きてるねっ、うんっ!」

 姉さんはあの頃と変わらず、とても元気がいいみたい。でも、少し
だけ、大人っぽくなったような気がする。

 「うん、起きてる。 そういえば、朝ご飯を」
 
 「だいじょうぶ。朝ご飯はきちんと食べたし、伊織にもあげたから」
 
 姉さんはニコっと綺麗な笑顔を見せて、Vサインを突き出した。

 「それくらい自分でやらなきゃ、ね? 八雲も受験だし迷惑かけられ
ないもんね」

 「・・・うん」

 「じゃあ、私出かけるね。朝食は作ってあるからちゃんと食べるんだ
よ。八雲はすぐ忘れちゃうんだから。気分転換もすること! いい?」

 「・・・うん」

 「じゃ、いってくるね」

 姉さんはいつものお姉ちゃんパワーを発揮して出かけてしまった。

 (姉さんがうらやましい)

 姉さんは憧れの烏丸さんに告白した後、今でもメールでやり取りをし
ているらしい。本当は一緒に大学に行きたかったそうだけど、烏丸さん
は就職し、姉さんは第一志望の大学に落ちてしまった。今は唯一合格し
た大学で保育士になるために勉強している。

 (私は・・・)

 あの事故の後、私はただ他人事のように日々を過ごし、具体的な目的
もないまま、周りが勧めるままに大学を受験するための勉強をしている。
出来る事なら、『あの人』とたった一度だけでも、一緒に大学に通いた
かったけど。

 (ムリ、だから。ムリ、だから)

 何度も心の中で言いつづけてきた言葉。カナウコトノナイコトバ。
どう考えても、何度願っても絶対にできないのだから。

 (『あの人』に逢いたい)

***

 久しぶりに鏡を覗いてみた。あの頃から伸ばした髪を首元で結わえ、
前に垂らしてはいるものの、変わらない顔。少しだけ、顔が青白い気が
する。少しだけ無理をしすぎたかも知れない。

 (姉さんにまた、心配させてしまう)

 少しだけでも、姉さんに心配させないようにと思いつつ、台所へ向か
う。

 (あっ)

 台所のテーブルの上には、少しだけ不恰好なおにぎりとおしんこ、そ
して、マジック大きく書かれた、「ファイト! 八雲」の文字。

 (ありがとう、姉さん)

 心の中で小さく、姉さんに感謝しながら、私は独りおにぎりを食べた

 (塩、入ってない)

 料理をほとんどすることがなかった姉さんも、烏丸さんのために必死
で勉強して、今では私のためにお夜食も作ってくれるようになった。け
ど、まだ少しだけ練習は必要だと思う。

 「私の受験の時、いろいろ作ってくれたんだから、今度はお姉ちゃ
 んががんばらないと、ね(ハート)」

 そう言って、腕まくりをしながら姉さんは笑って答えてくれた。私は
ただ一言、「ありがとう」としか言えなかった。本当はとてもうれしい
のに。

 「あ、メール」

 遅い朝食を終え、食器を片付けて部屋に戻ると、机の上にある携帯電
話から、メールが届いたことを示すメロディが流れてきた。

 ピッ ピッ ピッ

 流れてきたメロディは確か、ブレッド&バターの「あの頃のまま」。
私にメールを送る人は『あの人』を除くと数えるほどしかいない。その
中でこのメロディだから・・・

 「アシ、お願い。 沢近」

 たったそれだけの言葉。それだけのメール。でも、今の私にはそれだ
けで分かる。あの頃もそうだったから。こんな感じで、よく呼ばれてい
たから。

 「今、行きます」

 それだけ書いて送った。姉さんも言っていた事だから、これ以上心配
かけないように、気分転換になるのなら行ってみよう。そう言い聞かせ
て、私は準備をして家を出た。

 ミーン ミーン ミーン ミン

 外に出ると、久しぶりにまともに浴びる日差し、そして大きく響くた
くさんのせみの声。少し日差しが強く感じるけれど、長い間家の中にい
たのだから、しばらく我慢しようと思い、帽子はかぶらないことにした。

 ふと、玄関前で振り返り、家を見上げるとやはり目にとまるのは、2
階の姉さんの部屋側にあるクーラーの室外機。

 (・・・)

 どうしても、『あの人』の事が頭の中に浮かんでしまう。今日が『あ
の人』に出逢った日だからかも知れない。そうでなくても浮かんでしま
うのだけれど。

***

 繁華街と住宅街の境目くらいにある、ごく普通のマンション。ここに
今沢近さんが住んでいる。以前は自宅である豪邸に住んでいたのだけれ
ど、高校を卒業してから<すでに決まっていた名門大学への進学を止め
て、半ば家出同然でこのマンションに引っ越して来た、と高野先輩が教
えてくれた。姉さん達には海外に留学していると伝えているそうで、こ
の場所を知っているのは私と高野先輩だけとも聞いた。
 本当は、後で沢近さんに聞くと、実際には私以外には言っていないそ
うで、高野先輩にも留学中と嘘を伝えてた、と。

 『本当に何を考えてんのかしら。ったく』

 沢近さんはとても迷惑そうに、そう呟いていた事を覚えている。でも、
本当はとても心配しているのだと、沢近さん自身気付いてはいると思う。
姉さんも本当の事を知れば、とても心配すると思うから。

 誰も居ない玄関ホールを通り、ふと壁に目をやる、刺さったままの新
聞が数本、目に止まった。707号室。沢近さんの部屋の番号。中には
3日分の新聞と請求書、領収書などの手紙や封書が入っていた。

 (?)

 いくつかの封書の中に一回り大きく、綺麗な模様の入った封筒が混じ
っていた。住所は沢近さんの実家になっていたけれど、誰かがここに転
送してくれたらしい。封書の裏には「今鳥」と「一条」の名前が書かれ
ていた。確か姉さんの友人だったと思う。
 
 (披露宴?の招待状・・・)

 少し気にはなったけど、そのまま持って行くことにした。

 たった独りエレベーターに乗り7階へ。そして、誰に会う事もなく部
屋の前に着いた。

 ピンポーン

 チャイムの音。ドアの向こうからは微かな音のようなものを感じる。
テレビか何かが点いている、そんな感じ。

 ピンポーン

 しばらく間を置いて、もう一度鳴らしてみる。

 (もしかしたら、出かけているかも)

 そう思った時、中から「開いてるわよ」との声。多分作業中だと思う。
ドアノブをひねると確かに開いていて、そのまま私は部屋の中に入って行
った。
 玄関にはサンダルとスニーカーが一足ずつ。沢近さんのものだと思う。
部屋の中は静かで暗く、奥に入るとカーテンが半分だけあいたままの薄暗
い部屋がひとつ。真中に小さなテーブルと時代の古いテレビ、いろいろな
本が無造作に詰められた本棚にその上に置かれた小さなラジカセがあるだ
け。今はテーブルの周りに、丸められたたくさんの紙と何冊かの本が散乱
し、テーブルの前に座り黙々と原稿を書いている沢近さんの姿がある。

 「あの」

 持ってきたバックと新聞や手紙を抱えたまま、声をかけてみた。

 「何?」

 沢近さんはテーブルに向かい背を向けて俯いたまま、まるで独り言のよ
うにそう聞いてきた。私は抱えていた新聞などを部屋の隅に静かに置き、
散らかった部屋を片付けることにした。

 「片付け、ます」

 「いいわよ、別に」

 まるで興味がないような短い返事だけ。でもそれはいつもの事だから、
そのまま気にせず片付けを続けることにした。邪魔にならないよう、部屋
を片付けた後、台所へ。案の定、使ったままのいくつかの食器と、ごみ箱
に溜まったコンビニのお弁当のゴミが残っていた。私は普段通り食器とゴ
ミを片付け、台所を使えるようにすると、食器棚の中にある、場違いのよ
うに綺麗に収められたティーカップとティーポットを取り出した。

 (まだ、残ってる?)

 以前来た時に置いておいたフォッションのオレンジペコーの缶を開けて
見ると、中身が前に来たときより少しだけ減っていた。多分、あれからも
少しずつ飲んでいるんだと思う。そう思うと、少しだけ安心したような気
持ちになった。

 紅茶を淹れて戻ると、沢近さんはまだテーブルに向い、原稿を書きつづ
けている。

 「あの、紅茶、淹れました」

 そっと、声をかけると、小さく「いらない」の一言だけ。

 「でも、飲んで一息入れたほうが、落ち着いていいと思います」

 しばらくペンの音だけが響いた後、小さな溜息がひとつ。

 「分かったわよ」

 と、ペンを置き、沢近さんはこちらへゆっくりと振り向いた。

 「悪かったわね。いつもの事だけど」

 少しだけ怒ったような、もしくは呆れたような顔を向けて、そして体全
体をゆっくりと私のほうへ回した。私はティーセットを床に置き、沢近さ
んと私用に用意したティーカップに紅茶を注いだ。

 「・・・」

 私と沢近さんは無言で、ただ静かに紅茶を飲んだ。その間、目を合わせ
ることもなく、お互い俯いたままで。

 「受験勉強中でしょ? 悪かったわね」

 そう、小さな声で呟いた。多分、俯いたままだと思う。

 「いえ、私は大丈夫、です」

 私もまた、俯いたままそう答えた。

 「今度こそ、絶対に賞を取りたいの。取ってアイツ−」

 最後のほうは聞き取れなかったけれど、とても力が入っているように感
じる。
 そっと顔を上げると、沢近さんはまだ少し俯いたまま、空のティーカッ
プを前にして、考え事をしているように、身動き一つなく、じっとしてい
た。髪は私と反対に短く切り、まるで寝起きのままの状態で、シワになっ
た白いタンクトップとショートパンツを身に着けている。昔から見ると考
えられない姿だと思う。

 しばらく時間が経ったと思う。いきなり沢近さんはテーブルへと体を反
転させると、勢いがついたように再び原稿を書き始めた。

 「手伝って!」

 先ほどまでとは打って変わった大きな声に私は驚いたけど、すぐにティ
ーセットをそのまま端に寄せて、テーブルの向かい側に座り直して手伝い
の準備を始めた。

 原稿を書き始めてから数時間が経った。

 「テレビ点けて」

 いきなりの声。私はすぐにテレビに向かうとスイッチをオンにした。旧
式のためリモコンが無く、スイッチを入れるのにテレビの前まで行かない
といけない。面倒と思われるかも知れないけど、私はこんなテレビも良い
と思う。姉さんならきっと「面倒臭い」と言うと思う。『あの人』ならど
うだろう、『あの人』ならきっと気に入ってくれる。

 『−先日、アメリカで行われた、空手の国際大会で初優勝を遂げた、T
大の花井春樹選手が昨日帰国し、空港には大勢のファンが詰め掛けました』

 (花井、先輩・・・)

 テレビからは今日のニュースとして、海外の大会で優勝した、花井先輩
の事が報じられていた。あの頃より少しだけ背が伸びたように見え、顔つ
きも「大人の人」になったような、そのような感じがした。
 『あの人』が亡くなってしまった後、しばらくは先輩も力が抜けてしま
ったように日々を過ごしていたけれど、幼馴染である周防さんのおかげで
立ち直ることができたと聞いた。それに対して私は、未だにあの頃を引き
ずったままで。

 『いいか! 八雲君! 今はまだ僕は『あの男』に勝つことは出来ない
だろう! だがっ! いつかきっと! 僕は君をあの男から取り戻してみ
せる! きっとだ!』

 卒業式の日、花井先輩はそう私に告げた。私はその言葉の意味に気付い
たけれど、何も答えることが出来ずにただ見送るだけしか出来なかった。
なぜなら、今でもずっと、『あの人』のことが・・・

  「何? どうかした?」

 沢近さんの声で気が付くと、すでにニュースは変わり、ローカルの話題
になっていた。私は「いえ」とただ一言だけ言って、テーブルへ戻り作業
を続けることにした。

 「ねぇ、ここのカットだけど、トーンはどうしたらいい?」

 テーブルに着くと、沢近さんは自身が書いていた原稿を指し、私に訊ね
てきた。

 「私は、これがいいと思います」

 私の側にあった、トーンの見本の中からひとつ選んで見せると「そうね」
とだけ言って、そのトーンを貼り付け始めた。

 「ここはあの、ベタで良いですか?」

 私が尋ねると、トーンを貼り付けながら「任せるから」の一言だけ。

 『関東地方はこの後も晴天に恵まれ−』

 テレヒの音だけが聞こえるだけの部屋で、黙々と作業を続ける。

 (・・・)

 沢近さんが漫画を書き始めた訳。それは多分『あの人』のせいだと思う。
今から1年位前、突然沢近さんから「二人きりで逢いたい」と呼ばれ、待ち
合わせた喫茶店での最初の言葉が「マンガの書き方を教えて」だった。
 私自身、良く知らなかったけれど、本人の強い希望と誰にも言わないでほ
しいということ、何よりも『あの人』への思いを感じすぎてしまったから、
私は沢近さんに少しでも手伝うことが出来るならばと思い、協力することに
した。例えそれが無意味だったとしても、お互いが『あの人』を忘れたくな
いから。

 「あの」

 今も戸惑いながらGペンで背景を書きながら、向かい側にいる沢近さんに
話し掛けてみた。

 「何? テレビの音が気になるなら切」

 「いえ、そうではなく、・・・ごめんなさい」

 私は作業を続けながら、何度も伝えようとしていた言葉を言うのをやめた。

 「もしかして、ミスったの?」

 「そうじゃないんです。ただ、その、ティーセットを」

 つい、その場しのぎの言葉でごまかし、部屋の端でそのままにしていたテ
ィーセットを片付けることにした。

 (また、言えなかった)

 実は沢近さんには、いえ、その他の誰にも言っていないことがある。

 (『あの人』の原稿の事、言えなかった)

 『あの人』が書いた、最後の原稿。『あの人』が最後まで命をかけて守っ
た原稿の事。

 (やっぱり、言うのは止そう)

 今日もまた伝えないまま、ティーセットを片付けると再び部屋に戻ること
にした。

 気が付くと腕時計の針が7時を回っていた。
 テレビは何時からか音も無く、黒い画面のままになり、代わりに古いラジ
カセから曲が流れている。

 (「カギのかかる天国」)

 それは沢近さんのお気に入りの曲だった。初めてこの曲を聴いたときはま
るで、自分の首をしめられているような気がして、とてもこの場にいること
が出来ない、そんな気分がした。この曲を聴きながら、沢近さんが呟いた言
葉は

 『参っちゃうわよね』

ただ、それだけだった。

 「んーっとっ。これで何とか目処は付いたわね」

 沢近さんは背伸びをすると、肩を動かし私へと顔を向けた。

 「今日は本当に助かったわ。ありがと」

 疲れながらも、沢近さんはそう言って笑ってくれた。私は笑顔を作ろうと
してやっぱり出来ないまま、

 「いえ、そんな。この位しか出来ませんから」

 と道具を片付ける振りをして誤魔化した。

 「そろそろ帰ったほうがいいわね。天満が心配してるでしょうし、夜は物
騒だから」
 
 と言って、ゆっくりと立ち上がり、私を玄関まで見送ってくれた。

 「そろそろ、私は帰ります」

 私は来たときと同じく、靴を履きバックを持って玄関へ向かう。
 
 「あ、そうだ」

 玄関まで出たところで、急に沢近さんは奥へ戻ると1枚のCDを私に差し
出した。村下孝蔵の「林檎と檸檬」。それは以前、高野先輩に頼まれて渡し
たものだったと思う。

 「これ、晶に返しておいてもらえる? 流石に私が返すのも、ね」

 「はい。分かりました」

 私はCDを受け取ると、そのまま手に持ったバックへと収めた。

 「それじゃ、気をつけてね」
 
 そのまま、沢近さんに見送られながら部屋を後にした。廊下には誰もいな
かったけれど、エレベーターに乗るまでずっと、沢近さんが見送ってくれた。

***

 家に帰る途中、気が付くとあの日の前日、『あの人』最後に出逢った公園
へと足を向けていた。まるであの日をもう一度再現したかのように、とても
静かで、『あの人』一緒に座ったベンチもそのままの状態で夕焼けの中に取
り残されていた。

 (−さん)

 当時、私は喫茶店でアルバイトをしていて、そこで出版社に漫画の原稿を
持っていった帰りの『あの人』に偶然出会った。

 『よかったらまた読んでもらいてーんだが・・・』

 そして、放課後やアルバイト先の喫茶店で待ち合わせしては原稿について
いろいろなことを話し合った。時には好きだった時代劇について話したこと
もあった。『あの人』も俳優の役舎丸広事のファンで、あまり話す事が苦手
な私もつい、時間を忘れてしまうほど一緒に話すことが出来たと思う。
 そんなある日、いつも通りの待ち合わせをして、この公園で漫画の内容に
ついて話し合っていたとき、『あの人』はこう切り出した。

 『良かったら、これ貰ってくれねーか』

 差し出されたのは、封筒に入った2枚の動物園の入場券。

 『いやな、2,3日前に近所の商店街の親父がくれたんだけどよ。2枚な
ら、ほら、誰か、と誘うんだけどよ。1枚しかないからな。良かったらお礼
にと思』

 『あの、2枚』

 『へ?』

 私が入場券を見せると『うぁぁぁぁぁぁ−』と叫びながら背中を向け、頭
を抱えてしゃがみ込んでしまった。私はどうしていいか分からずにいると、
明らかに落胆した様子で振り向き

 『えーっと、その、何だ。誰か友達を誘って行ってくれ』

 と肩を落とし、寂しそうに背を向けた。私はその姿を見て、つい

 『あの、一緒に、行きませんか?』

 と声をかけてしまった。すると『あの人』は一瞬立ち止まった後、唖然と
したような顔でこちらへ振り向くと、無言で『へっ? 俺』と自身を指差す
しぐさを見せた。その仕草に釣られたように私もただ無言で小さく頷いて見
せた。

 『ブツブツブツブツブツブツ・・・』

 『あの人』は再びその場にしゃがみ込むと腕を組んで悩み始めてしまった。

 (どうしよう。とても困ってる)

 あの頃はなぜ、私がなんなことを言ったのか分からなかった。でも今なら
十分に分かる。少しでも長く、多く、一緒にいたかったのだと。

 『よしっ、分かった! 一緒に行こう!』

 『あの人』は急に立ち上がると、私の肩をつかんで力強くそう言ってくれ
た。そしてすぐに手を離すと、顔を赤く染めて『す、すまない、妹さん』と
呟いた。私もなぜか恥ずかしくて『いえ』と一言だけ。

 『んじゃ、ここで10時って事でいいかな』

 『はい』

 『気を付けてな』

 それが最後に交わした言葉。最後に見た姿。結局『あの人』の心は読めな
いまま。

 (・・・)

 その日の夜。なぜか翌日のことが気になり眠ることが出来ず、普段よりも
さらに早く起きてしまった。私はなぜか姉さんに気付かれないよう、そのま
ま身支度を済ませると、待ち合わせの時間より2時間以上も早く家を出てし
まった。

 (どうしよう。服、これでいいのかな)

 案の定、1時間も早く着いてしまった私は。色々と悩みつつ、昨日座った
ベンチに再び腰掛けて、結局そのまま眠ってしまっていた。

 (その間に・・・)

 あの後ははっきりと覚えていない。覚えているのは泣きながら私を抱きし
める姉さんの姿と、叫びながら『あの人』の遺体に今にも飛びかかろうとす
る沢近さんとそれを止めようとする周防さん、そして無言で立ち尽くす刑部
先生の後ろ姿だけ。わたしは泣くことも叫ぶことも立ち尽くすことも出来ず、
 まるで映画を見ているかのようだった。

 (帰ろう)

 これ以上思い出したくなくて、なるべく考えないように私は家に帰ること
にした。

***

 家に帰り、玄関をくぐると姉さんの声が聞こえてきた。多分電話中だと思
う。

 「で、そっちはどうなの? ふーん、そうなんだ」

 いつもの明るい声。相手は誰なのだろう。

 「あっ、ちょっと待って」

 帰ってきた私に気が付くと、姉さんは受話器を手でふさいで「八雲、お帰
り」と言ってくれた。

 「ただいま、姉さん」

 脱いだ靴を揃え、下駄箱に仕舞い姉さんの傍に近付いてみた。

 「散歩? どうだった? やっぱり気分転換には散歩が一番だよねっ」

 姉さんはいつもの笑顔で話し掛けてくれる。

 「私も受験中はよく気分転換に散歩に行ってたもん」

 確か姉さんは殆ど散歩ばかりだったような気がするけど、その事を言うこ
とも出来ず

 「姉さん、電話」

 と、だけ言った。

 「あっ、そうだった。今、美コチャンから電話なんだよ。花井君の事で大
騒ぎなんだって。スゴイよね」

 まるで自分のことのように興奮する姉さんに対し、ただ「部屋に戻るね」
とだけ伝えて、私は2階に戻ることにした。

 「あ、ごめんね。そういえば、今鳥君とカレリンの婚約パーティどうする
の? え? 行こ行こ。やっぱり気になるでしょ? またまたぁ。愛理ちゃ
 んはどうするのかな? 戻ってくるんじゃないかなぁ」

 沢近さんの名前が出て、一瞬だけ足が止まったけど、そのまま階段を登ろ
うとした。その時、姉さんに突然呼び止められた。

 「忘れてた。八雲、サラちゃんから郵便届いてたよ。国際郵便」

 姉さんは電話機の保留ボタンを押すと、すぐに居間に行き一枚の手紙を持
って戻ってきた。

 「はい、これ」

 階段の下から手渡された一枚の封筒。それはイギリスから送られてきた、
親友のサラ=アディエマスからの手紙だった。

 「ありがとう」

 再び電話に戻り、話を再開する姉さんを後に私は独り部屋に戻った。

 バックを机の上に置き、サラからの手紙を丁寧に開封して開いてみた。中
には2枚の写真と数枚の便箋が入っていた。

 (サラ、うれしそう)

 2枚の写真の内、1枚には実際に建てられたベーカー街にあるシャーロッ
ク=ホームズの下宿先で写されたサラの写真。もう1枚は小さなレストラン
の前で麻生先輩と写したものだった。
 
 『親愛なる 八雲へ』

 そう書かれた手紙には、イギリスの様子や家族のこと、イギリスのレスト
ランで修行中の麻生先輩のことなどが書かれていた。
 8月に入り、サラは最後の夏休みにとイギリスへの旅行に誘ってくれた。
それはサラなりの心配りだったと思う。でも、私は受験勉強と旅費のこと、
そして姉さんのことを理由に断ってしまった。サラはとても残念そうだった
けど、大好きな麻生先輩に会えることが何よりも楽しみだったみたい。
 サラの話によると、麻生先輩は実家のラーメン屋を継ぐ前にもう少し料理
の腕を磨きたいと、高校卒業後に単身イギリスへと渡ったのだと言う。なぜ
フランスやイタリアなどではなく、イギリスに渡ったのかというと、『サラ
 の両親に認めてもらいたいから』と、照れながら教えてくれたとサラは私に
 話してくれた。
 あの日以来、サラは私に色々と気を使ってくれてとても感謝してる。本当
はうらやましく思うこともあるけど、やっぱり幸せになってほしいから。

 (・・・あ)

 手紙の最後には一言こう添えられていた。

 『ps.新学期には笑顔で会おうね。−先輩もそう願ってると思うよ』

 まるですぐ傍にサラがいて、私を励ましているような気がして、手紙を抱
きしめたままつい泣いてしまった。

 (サラ、ごめんね ありがとう サラ)

 私はサラからの手紙を大事にもとの封筒にしまうと、机の引出しに収め、
代わりにしわになった一枚の茶封筒を取り出した。

***

 『あの人』のお葬式が終わった後、私は刑部先生に呼ばれ、旧校舎にある
茶道部の部室へと向かった。

 「悪いね。こんな時に呼び出して」

 部室に入ると喪服を着た刑部先生が何事も無かったように、独りで紅茶を
飲んでいた。

 「いえ。でも、良いのですか?」

 普段通りの先生の姿に面食らいつつ、そう尋ねてみた。なぜなら、刑部先
生は『あの人』の従姉でこれまでずっと一緒に暮らしてきたのだから。

 「ああ。仕切っているのはアイツの両親だからね。私はあくまで保護者の
代理だ。担任でもないし」
 
 普段通りの声。普段通りの話し方。でも、何かを我慢しているかのように
私には見えた。

 「ここに呼んだのはこれを、君に渡したかったからなんだ」

 と座ったままで私を見ることも無いまま、一枚の茶封筒を差し出した。

 「本当は 君のお姉さんに渡すべきなのだろうが、君にはアイツが色々と
迷惑をかけた様だからな」

 「そんな、迷惑なんて、1度も」

 そう言いながら受け取った封筒を開けてみると、沢山の原稿の束が入って
いた。

 「これ、先輩の」

 原稿の束から目を離し、刑部先生を見ると足を組み、空になったティーカ
ップを両手に持ったまま、ただティーカップの底を見つめていた。

 「アイツの最後の原稿だ。あの馬鹿、最後までその原稿と動物達、そして
君の心配をしていたそうだ」

 「私の・・・?」

 「ああ。どうしても遅刻したくなかったらしい。普段学校にはやたら遅刻
するくせにな」

 刑部先生は空になったままのティーカップを見つめたまま、独り言のよう
に語り始めた。

 「アイツはね、君のお姉さんが好きだったんだ。さっさと告白してしまえ
ば良いものの、うじうじしたままで何も言えず、結局勝手に早とちりをした
挙句に、マンガで現実逃避を始めたわけだ。まあ、何をしようとアイツの自
由だし、好きにすればと思って放っておいたんだ。もし、あの時マンガを書
くのを止めていれば、もしかしたらこんな事にならずに済んだかも知れない。
そう思うとね」

 そこまで言うと、テーブルに置いてあったブランデーに手を伸ばし、ティ
ーカッブに一杯まで注ぐとそのまま一気に飲み干してしまった。
 
 「今となってはどうすることも出来ないし、もう済んでしまったことだ」

 まるで突き放したような言い方。でも、それは本心ではない、はず。

 「あの、私は、この漫画が、好きです。先輩が心をこめて書いたものだか
ら、それに、その、どんな理由で生まれたとしても、先輩が漫画を書き始め
たから、先輩と一緒にいることが出来たから、先輩が姉さんが好き、だった
としても、わ、私は」

 先生の気持ちは分かっているはずなのに、なぜか反論しようとしてる。う
まく言葉が言えないけど、今言わないといけないような気がして。

 「私は」

 「言わなくても、分かっているよ。全く、どれだけ迷惑をかければ気が済
むんだ、あの馬鹿は。その挙句にこんないい娘(こ)を放ったらかしとは」

 そう呟いた先生の頬が光って見えたような気がした。

 「用事はそれだけだ。君のお姉さんが心配するから。早く戻りなさい」

 身動きひとつしない刑部先生にそれ以上何も言えず、部室を後にするしか
なかった。

 (最後の、漫画)

 独り家に帰り、誰も誰もいない自分の部屋でそっと、茶封筒に入っていた
原稿を取り出してみた。題名は無く、作者の名前は普段の「ハリマ☆ハリオ」
ではなく、本名が書かれていた。私は丁寧に割れ物を扱うかの様に、ゆっく
りと読み始めた。それは以前までのものとは違い、まるで別の人が書いたか
のように、とても綺麗で丁寧に描かれていた。

 (これ・・・私)

 物語はある一人の少年と姉妹の物語。高校の同級生である姉を好きになっ
てしまった少年と、少年への思いを秘めながらも少年と姉との中を取り持と
うとする妹、そして2人の思いに気付かない姉。

 (まるで、姉さんと、私)

 多少感じが違うものの、この物語に登場する姉妹は姉さんと私。そして主
人公の少年は・・・

 (先輩、だ)

 と中からなぜか涙がこぼれてきて、全てをはっきりと読むことが出来なか
った。でもがんばって、少しずつ、涙で濡れない様に、最後まで読みつづけ
た。

 (さい、ご、は)

 物語の結末は、妹の思いを知った姉が妹の背中を押し、少年もまた妹の本
当の気持ちに気付き、ようやく2人は結ばれることができた。

 (!)

 最後を読み終えた後、私は原稿がくしゃくしゃになることもかまわず、ず
っとずっと泣き続けた。

 (さん! −さん!)

 これは漫画。夢の出来事。現実はそんな幸せな結末では無かった。最悪の
結末かも知れない。でも、でもせめて、漫画の中は、中だけでも幸せになる
ことができたから、その事だけが私はうれしかった。

***

 夜になり、数日振りに一緒に夕食を食べ、お風呂に入った後、あの日から
あまり見なくなってしまった時代劇を久しぶりに2人で見た。そして、消灯
の時間になった。

 「じゃあ、おやすみ、八雲。ムリしちゃ、駄目だからねっ」

 今も何も知らないまま、姉さんは「メッ」と人差し指を立てて私に言うと、
一足先に部屋へと戻っていた。私もまた小さく「うん」とだけ答えて自分の
部屋へと戻った。

 あの日から毎日の日課になった、『あの人』の漫画を読んだ後。原稿の入
った茶封筒を引き出しに収めようとして、ふと手を止めた。

 (今日は久しぶりにベットで休もう)

 私は茶封筒をベットと枕の間に挟むと、そのまま横になった。

 (逢いたい。『あの人』に)

 電気の消えた暗い部屋の中、天井を見上げながらそう思う。例え夢の中で
も、ほんの短い間だけでも毎日『あの人』の姿と、声と、笑顔を見ることが
出来れば、姉さんやサラに笑顔で会えるかもしれない。

 (明日、墓参りに行こう。そして練習をしよう。『あの人』に喜んでもら
えるように)

 そう、心に決めて、今日は眠ることにした。

end
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