冬の月(八雲)
日時: 2006/08/16 01:12
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「やっくもぉ、聞いてよぉ。あのね、あのね、なんと愛理ちゃんと播磨君付き合ってるんだよぉ」

 姉さんが修学旅行から帰ってきた夜。
 皆さんが帰ってから二人で寝ようと姉さんの部屋に入ってすぐそう唐突に言った。
 嬉しそうな顔で姉さんはおもむろに私に一枚の紙を渡し、二人で縁結びの願掛けまでしたんだよと。

 ピョンピョン跳ね回りながら嬉しそうに。
 
「あと、みんなに隠れて京の街をラブラブデートしていたんだよぉ」

 私と播磨さんの事を誤解して祝福していた時と同じように嬉しそうな姉さん。

「んー、いいなぁ愛理ちゃん。私も烏丸君と京都の街をデートしたかったなぁ」

 姉さんはもうすっかり播磨さん達の事は忘れて烏丸先輩の事を考えてるみたい。
 きっと二人の事を自分と烏丸先輩に置き換えて想像しているのだろう。
 頬を緩ませ幸せそうな顔をしてる。


 どうしても信じれなくてお札を見た。

 その字を良く見てみる。

 確かにこの字は播磨さんの字。

 見慣れたあの人の字。

 確かにこれは播磨さんの字だ。



 播磨さん、もう姉さんの事好きじゃないんですか?



 一つの布団の中互いに向き合い、お互いがいなかった間の事を話しているうちに、
 疲れていたんだろう姉さんはもうすっかり眠り込んでいる。
 でも私にはいつも自分の気持ちなど関係無しに現れる睡魔はいつまで経っても現れなかった。
 それでも眠ろうと布団にもぐり込み目を瞑るとあの人姿が浮かぶ。

 姉さんに思いを伝えるために一生懸命に漫画を描いている姿。
 あれが嘘だとはどうしても思えない。
 確かに人の想いはうつろうものだけど。
 あの人の口から聞いたわけではないけれど。

 きっと播磨さんは姉さんの事が好き。

 だったらどうして沢近先輩と付き合う事になったんだろう。
 姉さんの誤解?
 じゃあ、このお札は?
 もう姉さんの事どうでもよくなったのだろうか?
 だったらもう漫画も書かないのだろうか?

 確かに年が明けてからは一度も播磨さんから漫画の相談を受けていない。
 会話をしたのも片手で数えられる程度。

 自分が塚本天満の妹だからあの人と繋がりがあったんだなと漠然と思った。
 そのおかげで播磨さんと知り合えたという事は素直に嬉しい。
 でも、改めて自分が播磨さんにとって塚本天満の妹でしかない事が少なからず悲しかった。

 どうしてそう思うのかは分からない。
 ただ何となく私にとって播磨さんが他の男の人とは違う存在だという事は分かる。

 姉さんを起こさない様、布団から起き上がり静かに窓のそばに向かった。
 そっとカーテンを開けると、空には丸い月がぽっかりと浮かんでいて、柔らかい光が机の上のお札を照らしている。

 まるで祝福するかのように二人の名前を照らす白い月光。

 淡く光るそれを目にすると自然と口から言葉がこぼれた。


「もう播磨さんとお話する事なんてないのかな……」


 何故だかは分からないけど少し寂しくて、そして少し悲しかった。



 

  朽ちた庭園(八雲) ( No.1 )
日時: 2006/08/18 03:05
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「八雲、播磨先輩と沢近先輩の噂聞いた?」

 サラの声に曖昧な返事を返しながら耳に入る言葉を私は心の外に追いやる事だけに集中した。
 それでも、目に入る楽しそうなサラの表情だけはどうしても私の中に入り込んでくる。

「まさか、沢近先輩がねぇ、八雲もそう……」

 駄目。

 あの表情を見ると心から声を追い出せなくなる。
 あの時姉さんの顔を見た時も同じ。
 何故か分からないけど。
 どうしても、二人の表情を見ると心の中、奥深くで何かが蠢く。
 すごく嫌な感じ。

 もやもやとして、そして重たくて、私を深い闇に引きずり込むような感覚。

「八雲、聞いてる?」

 ちょっと困った表情で私を見るサラ。
 少し体調が良くないと矢継ぎ早に言い、私は教室を飛び出した。
 背中からはサラの声が聞こえたけれど振り返らずに走る。
 どこへ行けば良いのか分からないけど今はあそこに居たくない。

 きっとサラは心配してる。

 でも、そんな事今はどうでも良かった。
 ただあの感覚から逃げられればそれで良かった。
 思い出せば、朝姉さんと顔をあわせた時も同じだった。
 ここから居なくなりたい……何故かそう思った。
 何故だろう、姉さんといる時も、サラといる時も、私にとって大切な時。

 けど、今はいたくない。

 あの表情を見たくない。


 キーンコーンカーンコーン……


 ホームルームを知らせる鐘が私を現実に引き戻す。
 足を止め、今自分がどこにいるのか確かめる為に周りを見る。
 すぐにここがどこか分かった。
 私の前には階段があって、その先には扉が。
 その扉の先はあの人との思い出がいっぱい詰まった場所。
 あの人と私だけの思い出の場所。

 いや、あの人にとってはどうでもいい過去なのかもしれない。
 私達の秘密はもう秘密である必要を失ったのだから。
 きっともう必要のない関係だから。


 静かに階段を上り、扉のノブを廻す。
 目に映るのは殺風景な屋上。
 空は灰色で、吹く風はやっぱり冷たい。

 あの人といたこの場所はこんなにも寂しかったか?
 こんなにも冷たかったか?

 よく分からない。

 自分にとってここがどういう場所なのか?
 自分にとって播磨さんと過ごした時間がなんなのか?

 よく分からない。


 突然強くなった風に震え、今やっと自覚した寒さから逃れる為に自分の体を抱きしめる。
 それでもここから離れる気にはなれなかった。
 体を震わせながら、じっと見つめる。

 ここにいないあの人の姿を。

「わり、待たせちまったみてぇだな、妹さん、すまねぇ」

 待っていた私に申し訳なさそうに謝る、あの人。

「で、この前言われた所なんだが、直してみたは良いがこの場面のヒロインの気持ちがよく分からねぇんだ」

 アンタしか頼れる奴がいねぇんだと頬を掻きながらはにかむ、あの人。

「なるほど、そうなるわけか……さすが、妹さんだ、じゃ、帰って早速作業に取り掛かるぜ」

 手直しが済んだらまた見てくれなと言って走り去っていく、あの人。


 何故だろう、急に胸が苦しくなって、体が震える。
 寒さのせいじゃない。
 じゃ、どうして?
 分からない。
 よく分からない。

 ただ、この場所がこんなにも寂しいのが悲しくて。

 ただ、この場所に何の意味もないのが空しくて。

 ただ、あの人に……

 駄目、それ以上考えたくない、考えては駄目。


「まだそんな事言うの?」

 誰もいない屋上で聞き覚えのある声が響く。

「あなた、あの時の……」

 振り向いた先には長い髪を揺らし、空に浮かぶ女の子。
 前に美術室であった不思議な女の子。
 人を好きという事の意味を探している女の子。

「ひとりの世界がどんなものか、分かったみたいね」

 感情の色の見えない目で見下ろし、そう言う彼女。
 でも、表情は何故か明るく笑っているように見えた。
 すっと私に近づき、

「このままひとりでいる、それとも……」


 そこまで聞いてなんとなくだけれど、彼女がなんて言うのか私には分かった。

 そして、自分がなんて答えるのか分かった。

 どうしてこんなにも悲しかったのか分かった。

 どうして二人を祝福する姉さんから逃げたかったか分かった。

 どうして二人の噂を楽しそうに話すサラを見たくなかったか分かった。


「私は……もうひとりでいるのはいや」


 そう口に出してみると、何故だか少し嬉しくて、そして少し晴れやかになった。

 

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