最後の海(縦笛)
日時: 2006/03/26 07:11
名前: バンター

      


 遠くの空に真っ白な雲の群れが泳いでいる。
 僕のシャツは強い日差しのせいで汗を吸って、少し重さを増していた。
 初めて訪れた街、初めての道。
 うるさい蝉の声は、じりじりと焼き付ける日差しの中で自分達の命を燃やし尽くす命の叫びにも聞こえる。
 
 ――うるさいなぁ。
 
 そう言う周防がゆったりとしたスカートの裾を持ってパタパタと風をおこしているようだ。
 駄菓子屋で買ったペットボトルの汗が落ちて、僕らが歩いたという道しるべをつくっていた。
 
 ――あー暑い、暑いなぁ。
 
 僕は、周防と海へ向かっている。
 
 
 

                                最後の海






 海に来たのは、僕と周防、そして2-Cのクラスメート達数人と旅行に行った時以来だった。
 その一年後、三年生の夏休み最後の火曜日の朝にいきなり電話がかかってきて、僕は見知らぬ土地にいるというわけだ。

『悪ぃ、花井。今日、付き合ってくれないかな』

 そんな言葉で誘われた僕が理由を聞いても答えてくれずに、でも僕は周防に問い詰めようとは思わなかった。
 電車を乗り継いで、もう都会の雰囲気なんてこれっぽちもない駅で突然降りたんだ。
 周防は何も言わずに歩くので、僕も何も言わずについていった。
 土地勘もない僕らが道なりに歩いていると、やがて時折吹く風の中に潮の香りが混ざってくる。
 電車から覗けた海だけを頼りにここまで来たのだが、砂浜はまだ見えない。

 ――まだ着かないのかな?

 しばらく歩いて見えてきたのは一面に広がる海、じゃなくて本当に小さな船着場。
 周防の足が止まりそんな風景を眺めている。一分ぐらいして僕らはまた歩き出した。
 船着場がだんだん遠くに離れていって、ペットボトルの麦茶を買った駄菓子屋はまったく見えなくなっていた。
 周防を見ると表情がなくて、まるで見たことも無い女性になったかのように思えた。
 僕らは思いつきで来ていたために財布ぐらいしか持ってきていなかった。
 だから、タオルなんて気の利いた物も持っていなくて、まとわりつくようなシャツがやたらと気になっていた。
 どんどん歩いていく周防について行くと、さっきまで乗っていた電車の踏切があった。
 踏切を渡ってしばらくすると再び防波堤が見える。
 僕らが開けた大きな道に出ると目の前に一面の海が広がっていた。
 近くに小学校があるのだろうか、小さな男の子と女の子が水着を入れるバックを持って元気いっぱいに走ってきて、そして僕と周防を追い抜いていった。
 僕と周防にもあんな頃があったなぁ、なんて。

 ――ふふっ。

 周防も追い抜いてった子達を見て小さく笑みを浮かべている。
 砂浜までやって来ると周防は少しの間海に目を奪われていたが、砂浜に足を踏み入れいった。
 サンダル履きだった周防がはどんどん先に行ってしまうのが見えて、スニーカーを履いた僕は慌てて後を追いかけた。
 
 
 僕は周防を追いかけた。
 少し遠くに見えていた寂れた海の家まで行って、海の家はしばらく人の手が入っていないようでボロボロになっていた。
 そこで周防が僕の方に顔を向けた。

 
 ――ありがと、花井……。
 

 そう言う周防の方をなぜだか見れなくて、僕は広がる海のほうを見るばかりだった。
 波の音、遠くで蝉時雨。
 僕と周防と辺り一面を包み込む音がある。
 海が揺らめくと、太陽の光できらきらとした銀色の道が海の上に描かれる。
 いくつもの銀色の道は、広がる青空に浮かんでる真っ白な雲と溶け合っているみたいだ。

 ――海、か。

 僕が周防を見ると、周防は軽い足取りで砂浜に出ていった。入り口に立つ僕の横には、周防のサンダルが置いてあるだけだ。
 周防は波がぎりぎり届くところに立って、僅かに丸みを感じさせる水平線を眺めている。
 
「周防っ」
 
 僕は思わず声を上げてしまう。
 一瞬ビクリと身を縮めた周防が僕の方を向いた。
 
 ――何だよっ。
 
 受験勉強の息抜きに眺めていた外国の映画みたいに周防が海の中に消えていくような気がして、そんなことが頭の中を過ぎってしまって。
 でもよく考えたらそんなことあるわけないなって。
 照れ隠しに俯いてた顔を上げると周防はまだ僕の方を見ていた。
 すごく綺麗な人だ――
 周防がすごく綺麗な女性に見えた。
 僕と目が合って、にっこりと笑う周防が。
 僕は心臓が激しく胸を打っているのがはっきりと分かった。
 
 ――花井?
 
 僕は、周防の声で我に返った。
 いつの間にか胸の動悸も収まってた。
 僕はスニーカーを脱いで周防の傍まで行くと、周防の手を取って海へと駆け出した。
 砂と海水に足を取られそうだったけど、ふんばってくるぶしまで波が来るところまでやって来た。
 周防の息する音が聞こえる。
 僕は、走ってきた勢いのまま聞いてみた。

「今日はどうしたんだ」

 周防を見なかった。
 僕と周防の手が離れる。
 しばらくの間、波の音が僕の気を紛らわしてくれた。
 ぱしゃっ、と水を蹴る音。
 
 ――んとな、振られちゃった。
 
 周防の声は意外とあっけらかんとしてた。
 僕もなんとなく予想がついていたので驚かなかった――ような気がする。
 
 ――告白をされて、そしてすぐに振られた。
 
 僕は周防の方を向くと、にやって笑ってやった。
 
 ――何だよ、そんな顔しなくたっていいだろ。
 
 僕は少し眉の釣りあがった周防に水を掛けてやった。
 周防は始めびっくりしたような顔をしていたが、すぐに笑って僕に水を掛けてきた。
 しばらくそんな事をしあって波が届かない所まで戻ると、思わず二人で笑いあった。
 ただ、しばらく笑いあった。可笑しさがこみ上げてきて、思いっきり笑った。
 海の家に戻ると、勝手に上にあがらせてもらってごろんと横になった。

 みーん、みーん。

 蝉の声が近いと思ったらすぐ傍に小さな森が見えた。
 僕と周防はごろんと寝っころがって天井を見ていた。
 やがて周防の寝息が聞こえてきて、僕も後を追うように目を閉じた。

「どうして僕だったんだ……周防」

 み―ん、み―ん。

 そんな蝉の声に邪魔されて、僕は眠ってしまった。
 
 



 太陽の日差しが目のあたりに当たり始めて、僕は目を覚ました。
 横に目を向けると周防の姿がない。
 慌てて起き上がって海の家から飛び出し辺りを探していると、周防は防波堤の近くの砂浜で波と遊んでいた。
 引いては返す波に合わせるように、その仕草はダンスの様にも見えた。
 僕は一度海の家に戻ってスニーカーを履いて、それから周防のサンダルを片手に砂浜を歩いて防波堤まで行った。
 すっかり日も落ちてきて見渡す限りが真っ赤な夕日に染められている。
 夕日に周防は真っ赤に染められ、きっと僕も同じように染まっているんだなと思った。

「おーい、周防!」

 声をかけると周防も僕に気付いてこっちへやって来る。
 テトラポッドに座っていた僕の所までやってくると、周防は上機嫌だった。
 
 ――起きるのが遅いぞ、花井。今日は凄く綺麗な夕日だったんだから。
 
 僕はそう言われて眺めてみるが、普段と変わらない夕日が浮かんでた。
 それは確かに綺麗だったのだが、周防が言う夕日と何が違うのかは分からなかった。
 潮の匂いが鼻について少し痛かった。
 潮を含んだ風が目に入って、なぜか少し痛かった。
 横には同じように涙目になっている周防がいる。
 僕と同じなのかって。でも、口には出さずにいた。
 なんとなく気軽に声をかけちゃいけない気がして、僕はそんな自分が子供なんだろうかって思えた。

 遠くから船着場へと帰っていく船が見える。
 さっきまでどこかからか聞こえてきていた子供達の声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
 僕と周防は、いつまでも海と夕焼けの空を見ているような気がした。
 時計を見るともう七時に近い。
 電車もそんなに止まる所じゃないみたいだったから僕は、

「帰ろう」

 と、周防に声をかけた。
 周防は何も言わずにただじっと海を見ていた。
 互いに黙っていると、周防がポツリと呟いた。
 
 ――あたしには好きなヤツがいるんだろって、そう言われたんだ。
 
 周防の潮風で掠れてしまった声が耳の中にしっかりと入ってきた。
 
「そんな事を言ったのか?」
 
 僕はそんな事を言った奴――麻生が言った事に対してつい声を上げていた。
 周防はちょっとびっくりした顔になって、そして首を振った。
 
 ――あたしは誤解だって言おうとしたんだけど……、言おうとしたんだけど、さ。
 
 僕は、周防の顔から目が離せなくなっていた。
 こんなにじっと周防の顔を見たのは初めてだった。
 汗と潮のせいでべとつく髪も気にならなかった。
 
 ――でも、なんだか麻生の言ってることは正しいのかなって、思えて……きて。
 
「なぜだ? 奴の事を嫌いじゃないって言っていたのに」
 
 ――ん、まぁな。でも麻生のせいで分かんなくなっちゃった。ってか、多分……分かっていたんだと思う。
 
「何を?」
 
 ――……帰ろう、花井。
 
 周防はそう言って元気よく立ち上がると、僕に手を差し出してきた。
 
 ――電車の本数、少なかったろ?
 
 僕はその手を取らずに立ち上がると頷いた。

「ああ。次を逃したら一時間はないぞ」

 もう空は紫色が混じり始めていた。
 
 





 ごとん、ごとん。
 そんな音と共に古い電車が揺れる。
 僕と周防と、他には何人かの人を乗せた電車が海から遠ざかって行く。
 僕は横でうとうととしかけている周防に言った。
 
「電車の時間……覚えていたのか?」
 
 周防は僕に話しかけられた事によって目を覚ましたようで、どうやら今まで寝ていたようだった。
 目を軽く擦ると、ぼんやりとした顔のまま周防は呟いた。
 
 ――ん、なんとなくそう考えてるのかなって思って。お前、いい加減なことって言わないからな。
    だから、そう思った。電車に遅れるぞーって。お前がそう言うんじゃないかって。
 
 そんな事を言ってるうちに目が覚めたのか、周防は今日一番喋った。
 僕はそうゆうものかなと思って頷いた。
 電車を二回乗換えして、乗りなれた電車に揺られている頃にはもうずいぶんと遅くなってしまっていた。
 キラキラと光る街が流れていくのを見ながら、それでも一時間ほど前までは田舎の海にいたんだなって、僕が思わず笑うから周防は気になって、
 
 ――なんだよ、花井?
 
 って、聞いてくる。
 僕は思っていたことを話すと周防は笑いもせず、そうだなって返してきた。
 それから僕らが降りる駅までお互い話はしなかったけど、話をしようとは思わなかった。
 改札口から降りると、見慣れた駅前の景色がいつもと違う感じがする。
 周防の家は僕の家の前だから帰り道も同じだ。
 すっかり日も暮れてしまった街を歩いていると、不思議と時間の心配はしなくなっていた。
 街灯の無い所を歩くと互いの顔も分からなくなる。

 僕は周防の顔を見ようとは思わなかった。
 足音と風を切る音、どこにでもいる蝉の鳴き声。
 家まで後一つ曲がり角を曲がればいい所まで来て、周防はぽつりと呟いた。
 
 ――今日は本当にありがとな。おかげで、立ち直れた。ちょっと落ち込んでいたんだ、実はな。
 
「ん、そうか」
 
 僕は頷いて返した。
 
 ――……いや、結構落ち込んでたんだ。沢近達に話すのはちょっと悔しいし。花井くらいだもんな、まじめに話を聞いてくれるのって。
 
 僕は周防の友達を思い浮かべてみたが、あの三人ならば誰でも真面目に聞いてくれるんじゃないのかって思った。
 
 ――だから、ありがと。やっぱ、花井で……良かった。何だか考えすぎてたみたいだ。
 
 やたら納得したと頷く周防はそう言うと、急に走り出した。
 
「周防っ!」
 
 僕が大声を出すと走りながら振り向いた。
 
 ――またあした、道場でなっ! お昼を食べたらすぐに来いよ!
 
 周防は立ち止まらずに走っていった。
 僕は「ああ」とだけ呟いた。
 夜も晩くなってきていて、蝉の声は小さくなってきていた。
 僕は今日という日が過ぎていく早さへの驚きと同じ位に、波のきらめきに照らされた周防の姿が強く心に残っている。
 構えていたのは僕の方かもしれないな。
 そんな事を考えながら張りつめていた気が抜けていくのを感じる。

「僕は周防の事が好きなのかもしれない」

 呟いた後に気がついた。
 僕は、周防の事が好きなんだ――それは、やっと辿り着いた簡単な解答だと思える。
 腹の音がなったので、まずは腹を満たしてから。
 今の関係がどうなってしまうのかは分からない。明日、告白しようと決めたのだから。
 はっきりと分かっているのは、今の僕と周防の関係で行く海は今日が最後だったと言う事だけだ。
 僕は一度周防の入っていった玄関を見てから、自分の家の玄関を跨いでいった。





 END
 
 
 

 

最後の海 (花井・周防) の後書きのようなもの ( No.1 )
日時: 2006/03/20 08:06
名前: バンター

ちょっと慣れない一人称形式ですが、どうだったでしょうか?
テンポを変えずに淡々と『ただ流れていった一日』を書いてみました。

花井の視点からひたすら見た事・感じた事のみを書き出してみたのですが、このあたりはより試行錯誤が必要ですね。
アソミコが嫌いだという訳ではなくて、やっぱり自分は縦笛なんだろうと思います。(最終的に恋人になる・ならないは別として)

色々な文体を勉強している最中で読みにくい・共感しにくいなどあるでしょうが、最後まで読んでくださった方に感謝をします。
ありがとうございました。

 

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