ファースト・コンタクト(嵯峨野・播磨・天満)
日時: 2006/11/23 21:09
名前: ぶーちょ

(お知らせ)短編の完結作品です。なお私的には開発コード<「バイト先で……」type3>。






 12月最初の日曜日だった。
 登録しているアルバイト派遣の会社から、新発売のウインナーの実演販売でお呼びがあった。期末テストも終わったばかりで、特にこれという約束もなかったので2つ返事でOKして、朝9時に指定された隣街のスーパーに電車で向かった。
 従業員通用口から入り、倉庫代わりに使われている更衣室で渡された制服に着替え、店のバックヤードをてくてく歩いていると、意外な人物にバッタリ出会った。

「あれ、播磨くん?」
「お、おお……」

 播磨くんは一瞬顔を引きつらせてこちらを指差し、何を言うでもなくパクパクと口を動かした。私はちょっと首をかしげてから、思い当たるところがあってポンと手を打った。

 ――ああ。私の名前が思い出せない訳ね。

「嵯峨野よ。嵯峨野恵。同じクラスの」
「おお、そうそう。そんな名前だ」

 確かに播磨くんとはそれまで一度も会話したことはなかった。とはいえクラスメイトなんだから「名前くらい覚えといてよねー」とか、ちょっと突っ込もうかと思ったけれど、私と同じこの店のロゴ入りエプロンなんか着けてた(これが全然似合っていない)から、結局は好奇心の方が勝って、ここにいる理由を訊ねていた。

「どしたの、こんなとこで。もしかしてバイト?」
「ああ。まあ、な。今日1日だけなんだけどよ、なんかの試食の手伝いだとさ」
「あれ? ねえ、もしかして、ウインナーの実演ってやつ?」
「ん。ああ、確かそんなんだった。よく分かったな」
「だって、それ、私と一緒だもん」
「あん?」

 聞けば、私が普段使っているバイトの派遣会社に、つい最近、播磨くんも登録したらしかった。そういえば、今日の仕事先を指定されたとき、「新人君が一人行くから、嵯峨野さん色々教えてあげてよ」なんて、言われてたっけ。いつものように、普通に若い女の子が来るものかと思い、特別、気にも止めていなかったけど、それがよもや播磨くんのことだったなんて。

「なんだよ。じゃあ、今日、仕事を教えてくれる先輩ってぇのは……」
「多分、私のことじゃない? ねえ、播磨くんはこういう仕事は初めて?」
「まあな」
「仕事の内容書いた紙、持ってきてる?」
「ああ、これだろ?」

 胸ポケットから皺くちゃになった用紙を取り出し、播磨くんは乱暴に開いてみせた。外見のイメージ通りの無頓着さに笑いがこみあげてきたけれど、私はそれを飲み込んで、播磨くんと並んで歩きながら簡単に今後の流れを説明をした。

「……んで、売り場の人に用具を借りて、試食用にウインナーを焼くの。で、お客に配って、商品を勧めて買ってもらうわけ。ノルマは多分ないけど、あんまり接客態度が悪いと会社通して文句が来るから、そこは真面目にやらなきゃいけないんだけどね」
「待て。……ってことは、料理しなきゃなんねえのか? 俺はゴメンだぜ。めんどくせーし」
「あ、それはいいよ。私、やるもん。これでも割烹屋の娘だから」

 腕まくりをして力瘤を作ると、播磨くんは感心したように「ほう」と言った。冗談のつもりで、ワザとらしくおどけたのに、そんなに真剣に感心されると、何かちょっと照れくさい。私は居心地が悪くなって「そうだ、忘れてた」と、まるで今思い出したというように言って話を逸らした。

「とりあえず、コンロとフライパンなんかを貰ってこなきゃ」
「なら、俺が行って取ってくるぜ」

 どこから持ってくるか分からないはずなのに、播磨くんは言ったそばから走り出していた。私は慌てて呼び止めて、ひとつひとつ細かく丁寧に指示をした(確認すると、やっぱりただ闇雲に走り出しただけだった)。播磨くんは殊勝な顔をして素直に肯いている。その様子が播磨くんに何か似つかわしくなくて、説明の最中、笑い出さないようにするのに苦労した。



                     *



 実演販売用に割り当てられたのは、惣菜コーナーの一隅だった。
 売り場のチーフをしているというパートのおばちゃんが、準備している最中にひょいと顔を出し、「まあ、適当に頑張んなさいよ。売れなくても死にゃしないから」と、励ましだかなんだか分からない言葉を残して去っていった。もしかしたら、あんまりやる気のないスーパーなのかもしれない。
 案の定、開店から既に30分以上経ってるのに、お客の数はまばらだった。でも、まあ、こっちは言われた仕事をやるだけなんだけど。

「それじゃ、始めますか」
「うーい」

 私はウインナーを半分にカットし、フライパンで次々と焼き上げていく。
 皮の焦げる小気味いい音と一緒に、芳ばしい肉の香りが立ちのぼる。私は試しに一個口にしてみた。

「うん、おいし」

 皮の歯応えも中々かいいし、噛んだ瞬間に、旨みを含んだ肉汁が一気に溢れ出てくる。新製品って普通は狙いすぎで失敗しがちなもんだけど、このウインナーは出色みたいだ。調理役であることも忘れて、この場で続けて2個、3個と摘み食いしたくなってくる。

 ――っと、いけない、いけない。

 私はぶんぶんと首を横に振った。まあ、お腹がすいたのなら最後に余り物を貰えばいいし、と自分に言い聞かせてかきたてられた食欲を納得させる。私はもう一個だけを別の皿に取り分けて、今日の相方となる人に声をかけた。

「播磨くんも一個食べる?」

 けれど、答えは返ってこなかった。不思議に思って播磨くんの方を見ると、油を切る網の上に移したばかりの焼き上がりウインナーに爪楊枝を刺しながら、黙々と皿へと並べていた。どうやら話が聞こえないくらい集中しているらしい。私は「仕方ないよね、うんうん」と呟きながら、もう一個余計に食べた。
 とりあえずまとまった数を揃えると、昼飯のおかずを買いにぼつぼつと姿を見せ始めた主婦を狙って、私達は片っ端からウインナーを勧めていくことにした。

「試食やってまーす。新発売のジャンボウインナーいかがですかー」
「いかがですかー」
「焼きたてアツアツ、お昼ご飯にぴったりですよー」
「ぴったりっすー」
「歯応え抜群。一度食べたら止められない美味しさでーす」
「抜群っすー」

 私は新商品のうたい文句を適当にアレンジし、道行く人に声をかけていった。播磨くんもそれに合わせて呼びかけをしている。
 当初の心配とは裏腹に、昼前になるとスーパーはなかなか混雑した。私達の前を、主婦や家族連れがひっきりなしに通っていく。
 私達の実演販売も出足はまずまずだった。全部で200袋用意した商品は、ポツポツとだけど着実に売れている。ただ、試食用のウインナーはといえば、私の方の皿が先に減るばかりで、播磨くんのものは全部残っていた。
 そのうち、自分の皿が先に空になったので、私は新たな試食用のウインナーを焼きにかかった。
 菜箸(さいばし)で半焼けのウインナーを転がしながら、声かけだけは絶やさない。だけど客の流れは、もう一人の販売員である播磨くんを遠巻きに避けていくばかりだ。播磨くんは、とうにそのことに気付いていたらしく、どこか掛け声も投げやりになって、呼びかけの声はどんどん小さくなっていった。私は作業を続けながら、代わりに大声を張り上げた。

「どうぞー、新発売のジャンボウインナーでーす。どうぞ試してみてくださーい!」
「……っす」
「ぷりっぷりの歯応えが、とっても爽快ですよー!」
「……っす」
「肉汁もとってもジューシー、お昼のおかずにいかがですかー!」
「……っす」

 「っす」って何よ。私は播磨君のやる気のなさに、だんだん腹が立ってきた。
 仕舞いには、手にした皿を調理台の隅に放り出し、播磨くんは本格的なサボりモードに突入した。私はジロリと睨んで、お客には聞こえない小さな声で非難した。

「ちょっと、新人くん。真面目にやってよ」
「新人くんって、俺のことか?」
「他にいないでしょ。もっとしっかりアピール、アピール!」
「って言ってもなあ。俺が出るより、アンタがやった方が断然いいだろ」
「それ、どういう意味?」

 播磨くんは「分かんねえかな」と言いながら、片方の眉をめんどくさそうに跳ね上げた。

「俺だと、怖がられんだよ」
「何が?」
「何がって……パッと見、不良だろ俺って」

 「もちろん見かけだけじゃねえけどな」と播磨くんは呟いた。
 言われて気づいた。そうか。確かにバイトとはいえ、仮にも販売員がサングラスしていたら何事かと思うだろう。私は普通に見慣れてるんで違和感なかったけれど、少し考えてみれば、当たり前の話だった。

「じゃあ、サングラス取ったらいいじゃない」

 私は当然のように言った。すると、播磨くんはビクンとばね仕掛けの人形のように身体を震わせると、

「い、いや、それはまずい」

 と呟き、冷や汗を流し始めた。まだサングラスを外した訳でもないのに、顔に手を当てて素顔を隠すように、恐る恐る周りを見回している。

「何怖がってるの?」
「誰に見られるか、分かったもんじゃないだろうが」
「素顔を見られたくないんだ?」
「そ、そうだよ」

 ふーん。でも、単なる一高校生が、何で顔を隠す必要があるのか分からない。とはいえ、とりあえず今日は心配ないと思うんだけど。

「大丈夫だって、ここは学校からは遠いし、知り合いなんて誰も来ないよ」
「それとこれとは話が」
「違わないっ!」

 私はまだ未使用の菜箸を取ると、播磨くんの手の間からサングラスをひょいと摘んでひったくってやった。
 例えばその下から糸目が現れたら面白いなー、なんてとちょっぴり思っていたのだけれど、意外と素顔は普通だった。……いや、むしろ伏兵と言ってもいいかな。うちの学校のカッコいい男子上位の麻生君やハリー君とはだいぶタイプが違うけど、これはこれで中々いい男かも。ただ、少なくとも私の趣味じゃないけど。

「てめっ、返しやがれっ」
「大声出さない。ほらっ、これで向こうに怖がられる要素は何もないんだから。きりきりお客さん呼ぶっ」
「くっ、覚えてやがれ」

 播磨くんはしばし恨めしそうに私を眺めていたが、諦めたように放り出してあった皿に手を伸ばした。

「新発売のウインナーっす。……試してみやがれ、この野郎」
「野郎は、余計」
「くっ、……どうぞ、食べてみてくれ……ください」
「そうそう。だけど、もっとスマイル、スマイル」
「(にこぉっ)食べてみてくださ〜い」

 なんだ、ちゃんとできるんじゃん。
 私は焼きあがったウインナーに、一つ一つ楊枝をさしながら、時折播磨くんの仕事ぶりを眺めていた。通りすがりの奥様方も、恐る恐るではあるけれど、播磨君のお皿の楊枝を摘んでは、もぐもぐと食べてくれている。うん、なんとかなりそうかな。
 私は出来上がった新しい試食品を持って横に並び、また2人で客引きを始めた。
 試食は引き続き好評だった。立ち止まる人で通路にちょっとした渋滞が出来ている。
 うん、中々いい感じ……なんだけど、やっぱり播磨くんの方の反応が鈍めだった。こういう実演販売って、女の子向きなんじゃないのかな。どうして会社は播磨くんを寄越したんだろう。
 そんな疑問が頭に浮かんだとき、

「お、何だ、坊主?」

 と、播磨くんが言った。ふと播磨くんの脇を見ると、3〜4歳になる男の子が、播磨君のズボンの裾を手に持って、恨めしそうに播磨くんが手にしたお皿を見上げていた。

「何だ、オマエもこいつが欲しいのか?」

 コクン。男の子は無言で肯いた。播磨くんはしゃがみこむと、爪楊枝をひとつ取り上げて「あーん」と言った。男の子は小さな口をいっぱいに開ける。播磨くんは狙いを定めて、慎重にウインナーをその口の中に放り込んだ。
 もくもくと咀嚼しながら、男の子はじっと播磨くんの顔を見つめている。口の中のモノを全部を平らげた後、男の子は「ごちそうさま」は言わなかった。ただ、代わりに小さくたどたどしい言葉で、

「それ、ちょうだい」

 と言った。

「あん? 今、食っただろうが」

 男の子の顔が途端に泣き顔に変わりそうになるのを見て、私は慌てて播磨くんの袖を引いて、耳打ちした。

「違うよ、播磨くん。ウインナーの袋っ。商品っ」
「ああ。そういうことかよ」

 播磨くんが、側のカートに山と積まれたウインナーの袋を1つ取って「ほいよ」と手渡すと、男の子はそれをひったくってトテトテと歩いていった。行く手にはサラダを前にうんうん唸っていたお母さんらしき人がいる。男の子は、彼女が持っていた買い物カゴにウインナーの袋を放り込んだ。その女の人はちょっと驚いて、男の子と何やら話していたが、やがてこちらを向くと微笑みながらペコリとお辞儀をした。男の子もよく分からないままに真似をする。
 私はすぐにお辞儀を返したが、播磨くんはぼうっと突っ立っていた。慌てて播磨くんの頭を押さえつけ、深々と頭を下げさせた。親子が先の角を曲がって見えなくなるまで、私は小さく手を振って2人を見送ると、不機嫌そうに黙り込んでいる播磨くんに言った。

「びっくり。播磨くんって、子供に好かれるんだね」
「知るかよ。けどまあ、動物にはよく懐かれっけどな。多分、子供も同じようなもんなんだろ」
「動物と子供は違うと思うけど……。でも、そっか。ふうん」

 播磨くんは不良という割に風変わりな一面があることは、何となく噂とかで知っていたけれど、それでもまた違った別の一面を知った気がした。



                     *



 それからは、なんとなく私が一人で買い物に来ている人専門、播磨くんが親子連れ専門のような感じになって、それなりに順調に数を捌いていった。3分の1ほど売った頃には午後3時になっていた。ちょうどお客が切れたので売り場の担当者に断って、裏のバックヤードで30分だけ休憩することにした。
 私はドリンクのカゴを逆さにして椅子代わりにし、店から支給された余り物の惣菜弁当をつっつきながら、向かいに座る播磨くんを見ていた。片手で携帯電話をいじりながら、思い出したようにおかずを口に運び、時折もぐもぐとやっている。
 そういえば、播磨くんはずっと素顔のままだ。午前中に奪ったサングラスは、もうとっくに返してある。だけど、それを受け取った播磨くんは、折り畳んだまま胸のポケットに仕舞いこんだ。もう今日は着ける気はないらしい。
 私の方が先に食べ終えてしまい、ちょっと手持ち無沙汰になったので、何となくそのまま播磨くんを観察していた。時間帯がずれた休憩のせいか、私達2人のほかに周りに誰もいなかった。

 ――まあ、興味惹かれる対象ではあるのよね。沢近さんとのロマンスとか。

 よそ見しながら食べていたせいでご飯が喉に詰まらせたのか、播磨くんは携帯を置くとペットボトルを慌てて掴みお茶を一気に口の中に流し込んだ。私はちょうどいい機会だと思い、気になっていたことをストレートに聞いてみた。

「で、沢近さんとはどこまで進んでるの?」

 瞬間、播磨くんがブーッと盛大に茶を噴いた。私は椅子ごと間一髪のところで身をかわした。けれど、私のすぐ後ろにあった壁はお茶のシャワーでびしょ濡れになっていた。

「うわっ、汚いなあ」
「おめえが変なこというからだろっ」

 播磨くんは苦しそうに咳をしてから、こちらをギロリと睨んだ。

「変なことって、沢近さんと付き合ってるのはホントでしょ?」

 播磨くんは「んなわけねえだろ、大体何でお嬢なんかと」と、半ば本気で怒りながら言った。

「え? 違うの?」
「違ぇよ」

 ふうん、そうなんだ。かといって、火のないところに煙は立たない訳で。

「でも、少しぐらいは気になってるんでしょう」
「全然」
「かけらも?」
「かけらもだよ」
「そうなんだ」

 ただの噂なのかな。にしては、いろいろと具体的な話なんかを聞くんだけど。
 でも、いま本人に訊いた感触ではホントに脈はないみたい。自分の恋愛はともかく、人のに関して私はちょっと察することができるから、たいていは話しただけで脈のありなしを判断できる自信はあるのだ。
 ――けど、勿体無いなぁ。多分、沢近さんは、播磨くんのこと結構気にしてるみたいなんだけどな。

 でも、そうすると、播磨くんの好きな人って一体誰なんだろ?

「でも、男の子なんだし、好きな人がいないって訳じゃないんでしょ?」
「い、いるわけないだろ」

 言葉ではハッキリと否定してるくせに、思いっきりどもっていた。もしかして、結構、単純な性質なのかもしれない。

「そっかー、やっぱりいるんだね」
「だから、いねえって」
「その娘は、ウチのクラスの子?」
「し、知るか」

 完全に目が泳いでいる。頬も真っ赤だ。面白い。

「ははあ、それは間違いないわけね。うんうん」
「な、何で分かるんだ?」
「なんとなくね。聞いてる時の反応で」

 播磨くんは、水に濡れた犬がするように顔を横にぶるんぶるんと振った。……それぐらいじゃあ、ごまかせないって。私はクラスメイトの女の子の顔を思い浮かべた。

「じゃあ、周防さんとかかな?」
「……知らん」
「んー、じゃあ、高野さん」
「……」
「そーねえ、じゃあ一条とか?」
「あの怪力女だけは、ぜってぇーにねえ」
「あ、そ」

 見る目がないなあ、一条ぐらい女の子らしい娘はいないのに。
 もちろん一条は今鳥くんに夢中だから、もし好きだとしても、ちょっとやそっとじゃ、心変わりさせるのは難しいと思うけど。
 私は、それから思いつく限りのクラスメイトの名前を順々に挙げていったが、さっきみたいにピンと来る反応は返って来なかった。もう15人以上カマをかけたのに全然手応えがない。私は小さくため息をついた。

「ねえ、もう他にいないよ? ……ホントにウチのクラスの子で間違いない?」
「知らねえ、って言ってんだろうが」

 と反論するときの播磨くんのほっぺたはやっぱりちょっと赤い。ふうむ。

「あ、天満ちゃんがまだだった。だけど、てん……塚本さんみたいなタイプは、播磨くんには、ちょっと似合わないよねえ」
「何で、似合わねえんだよっ」
「え?」
「……う」

 挙動不審指数がピークに達した。例えていうなら、瞬間湯沸かし器のように頭から湯気が立ち上っている感じ。

 ――そう、天満ちゃんなんだ。これは意外。

 不良の播磨くんが惚れる相手としては、なんか普通過ぎるような気がするというか。もしかしたら、そこに憧れたのかな。だけど、天満ちゃんは烏丸くん一筋なんだよね。そのことはクラスの女子全員が知ってることで。

「塚本さんかあ……。でも、厳しいと思うよ、実際」
「言われなくても、知ってらあ」
「何を? 何を知ってるわけ?」
「天満ちゃ……塚本は烏丸のことが好きだから、って言いてぇんだろ?」
「ん……まあ、そうなんだけど」
「分かってるよ、そんくらい。いいだろ、別に」

 ふて腐れてそっぽを向いてる。
 へえ、ホントのことを知っていても諦めないって、中々見上げた覚悟じゃない?
 だけど、ちょっとにわかには信じられない話だな。播磨くんが天満ちゃんにゾッコンだなんて。噂好きの冴子あたりからだって、一度もそんな話聞いたことないし。高野さんあたりは知ってそうだけど、クラスの9割以上が気付いてないんじゃないだろうか。

「好きになったのはいつ頃なの?」
「……」
「今年になって?」
「……」
「去年から? あ、でも、クラス違ったよね?」
「……」
「えっ、中学のとき? もしかしてもしかすると、塚本さんを追って高校にきたとか……って、そんなわけないよねー、漫画じゃあるまいし」
「……!」

 そのときだけ、横を向く播磨くんの顔の上で、一瞬、ピクリと眉が跳ね上がった。

 ――うそっ、図星?

 としたら、かなりの年季が入っている。

「もう、告白はしたの?」
「……してねえ。なあ、黙っててくれよ、塚本には」

 播磨くんは私に手を合わせて神妙に拝んだ。

 ――ふうん、真剣なんだ。

 これまで誰にも知られず、ずーっと天満ちゃんのことだけを想ってきた。で、今も告白もせず想い続けている。なかなか健気じゃないですか。……そう想ったら、私の中のお節介スイッチ(と結城が昔、勝手に名付けた)がカチリとONになったような気がした。

「よし、じゃあ、お姉さんがひと肌、脱いであげましょう!」

 ドンと胸を軽く叩いて私は宣言した。播磨くんはきょとんとすると、訝しげに私を見た。

「お姉さんって、誰だよ?」
「もちろん、私のこと」
「あん?」
「物の例えよ。とにかく、塚本さんとのことは任せなさいって」
「い、いいって」
「なあに、遠慮することはない、少年よ」
「いいって言ってんだろうが」
「むむ、素直でないのう」
「うるせえっ」

 ありゃりゃ、またそっぽを向いちゃった。
 けれど、とりあえず私としては今後、播磨くんの応援をすることに勝手に決定した。頭の中の世話焼き優先リストの最優先項目の一つに播磨くんのことをリストアップすると、ニヤリと意味ありげに笑いかけてあげた。播磨くんは顔をそむけると、露骨に舌打ちなんかしてる。

「んーなことより、テメエはどうなんだよ。好きな奴いんのか?」

 形勢不利を悟ったのか、播磨くんはいきなり私に水を向けた。

「私? 私はいないよ」
「……ちっ、ずりい奴」
「ずるいって何よ。確かに将来の理想像ってのはあるけどねー、今は気になる人はいないの」

 ふん、と播磨くんが不満そうに鼻を鳴らす。

「じゃあ、せめてその『理想像』とやらを聞かせてもらおうじゃねえか。じゃねえと、なんか不公平だろうが」
「あたしの理想像? えーっと、ね」

 本当は「秘密」の一言でごまかそうとしたけれど、なんとなく播磨くんとの会話をこのまま打ち切るのが勿体無いなという気がした。そう思ったせいなのか、私はいつのまにか結城や仲のいい他の女友達にも話したことのない、私自身の夢のことを勝手にぺらぺらと話し始めていた。

「私は割烹屋を継がなきゃなんないから、旦那は婿養子の板前さんかな。自分はもちろん女将さんで、子供は男の子が一人くらい。2人だけで割烹屋を切り盛りしながら、途中で泣いちゃったりする赤ん坊をあやしながら、毎日毎日を楽しく過ごすの。旦那さんは料理以外のことはからきしダメで、そのうえ、少し……というか大分頼りないんだけど、普段の何気ないときに、私のことを好き、ってきっちり言ってくれる人がいいな。そういうのって素敵だなあ、なんて思ったりしてるんだ……って」

 播磨くんが、呆気にとられた顔をしてこちらを見ていた。私は何だか急に恥ずかしくなって、後は「あはは」と曖昧に笑ってごまかした。

「やっぱり変、……だよね」

 播磨くんは夢から覚めたように、目をしばたたいてから、首を横に振った。

「いや。いいんじゃねえかそれも。まあ、えらく具体的でビックリしたが。女にも、そこまで考えている奴がいるんだなって、感心した」
「ふうん。じゃあ、播磨くんも天満ちゃんとの未来を考えてたりするんだ?」
「ばっ」

 みるみる顔が赤くなった。私が面白そうにそれを観察していると、

「そ、そんなことより、仕事だ、仕事っ! よぅし、午後はバリバリ売るぜっ!」

 播磨くんはそう言い捨てて、逃げるように休憩室を飛び出していった。残された私は、播磨くんのその照れっぷりがツボで、一人で笑い転げていた。

 

  ファースト・コンタクト(嵯峨野・播磨・天満) ( No.1 )
日時: 2006/11/23 21:11
名前: ぶーちょ

 夕方になると、休憩前に輪をかけて仕事は順調に進んだ。
 残っていたウインナーのうち、私の方で80くらい、播磨くんも子連れの親子を中心に40ぐらいは売り捌いたと思う。試食用に使えるウインナーも全部なくなり、午後8時の閉店間際には、用意した商品を全部を売り切っていた。
 調理に使った器具の片付けやゴミ捨てを手分けして済ませ、売り場の担当者に報告に行くと「なんだか、すごい評判よかったわよ。商品もそうだけど、あなたたちもね。またそのうち頼むから、2人一緒に絶対来なさいよね」と、手放しでお褒めの言葉をいただいた。何だか聞いていてむず痒くなって、隣の播磨くんを見ると、あっちもあっちでもどこか困ったような表情をしていた。
 私は、更衣室の前で播磨くんにさよならを言って別れた。普段着に着替えて、買い置きのオレンジジュースを一本飲むと、しばらくまったりしてから店を出た。
 外は当たり前だけど真っ暗だった。駐車場には数えるほどしか車がいない。もう既に敷地の照明も消されているせいで、いつもは気にならない上空の星が何だかひどく近く思えた。東の空高くにはもうオリオン座が昇っている。そういえば北風がずいぶん冷たい。もう本格的に冬なんだなあ、と思う。
 と、突然、暗闇から一つ目のテールライトがエンジンの爆音とともに現れて、私の直前で大きく旋回し急停止した。驚いて呆然としていると、徐々に暗闇に慣れてきた目が、サングラスをかけた知った顔を認めた。メットも付けずに大きいバイクに跨っていたのは、さっき別れたはずの播磨くんだった。もう、とっくに帰ったとばかり思っていたのに。

「おう、今日はサンキュな」

 いきなり感謝されて、私はちょっぴり面食らった。

「そんなこと言うために待ってたの?」
「まあ、な」

 播磨くんはぽりぽりと頬を掻いている。何かは知らないが、柄にもなく照れているらしい。私はおかしさをかみ殺しながら「それ、播磨君のバイク?」と、聞いた。

「ん、まあ、絃……親戚のだけどな」
「借り物なの?」
「まあ、そうだな。もうちっとしたら、自分のを買うつもりだけどよ」
「そう。頑張ってね。……帰りの運転は、気をつけてね」

 そう答えながら、ちょっとくすぐったい気持ちになる。ホント、今日まで会話したことなかったなんて嘘みたいだ。たった一日なのに、播磨くんとずいぶん話をした。

 ――明日、結城と一条に自慢してやろう。

 私がそんな楽しい計画を思いついたとき、突然、携帯電話の着メロが鳴った。氷室○介の新曲。私のやつだ。

「おい、鳴ってるぞ」
「あ、うん。ちょっと待ってて」

 言ってから、「待ってて」というのは違うと気付いた。別に「さよなら」でもよかったのに、結城や一条と一緒にいるときみたいな気分になっていた。果たして、播磨くんは無視して帰るのかと思ったら、仕方がないという感じで頭の後ろを掻いている。どうやら本当に待つつもりのようだ。

 ――今さら、帰れとも言えないし。

 そんなことを考えながら携帯を開くと、ディスプレイに表示された電話番号の最初には矢神市の局番が付いていた。どこかの固定電話らしい。けれど知らない番号だ。直ぐには思い当たる相手が浮かばず、私は首を捻りながら通話ボタンを押した。

「はい、嵯峨野ですけど……」
『恵ちゃんかい?』
「あれ? もしかして、先生?」

 驚いたことに、電話に出たのは先月末から入院中のおばあちゃんの主治医の若先生だった。何やらひどく慌てているみたいだ。電話の向こうはバタバタという物音と、複数の人の声が飛び交っていてひどく騒がしい。

『おばあちゃんが、大変なんだ。とにかく早く病院に来てくれっ!』
「……え?」
『さっき、僕のところに知らせがあって、君のおばあちゃんが(先生、何をしてるんですが、早く来てください)あ、ごめん。もういかなきゃ(ブツ)』

 一方的に電話は切れていた。全然意味が分からない。病院に来てくれ?
 だって、おばあちゃんは確かに今、入院しているけど、それはただ風邪をこじらせただけのはず。昨日お見舞いに行ったときは、全然元気だったし。なのに……今の電話は一体どういうこと?

「おい、どうした」

 どれくらい、ぼうっとしていたのだろうか。ふと気が付くと、いつのまにかバイクのエンジンを切っていた播磨くんが、怪訝そうに私を見ていた。喉が自然にごくりと鳴った。

「……おばあ……ちゃんが」

 やっと紡ぎだした言葉は、自分でも驚くぐらいか細く、しかも震えていた。それを自覚したら、途端に恐ろしさがこみ上げてきた。おばあちゃんに何かあった?

「あん?」
「入院してるおばあちゃんがっ!」

 播磨くんは、私の言葉を全部聞き終わる前に、急に真剣な表情になった。

「乗れっ」
「え?」

 突然、目の前にボールのようなものが飛んできて、私は反射的に受け取った。硬い手応えのそれをクルリと半転させると、真っ黒なデザインのフルフェイスのヘルメットだと分かった。

「……これ?」
「早く乗れって!」

 播磨くんは有無をいわさない口調でそういうと、私に背中を見せてアクセルをぐおんとふかした。



                  *



 市立矢神病院に飛び込んだ私は、3階まで階段を一気に駆け上がり、面会時間間際で混雑する廊下を走っていた。3階の325号室。そこがおばあちゃんが入院している部屋。

 ――306、307、308、309、310!

 目に映るルームプレートの番号が、だんだんと目的地に近づいていることを告げている。私は行き交う人の間をギリギリですり抜けながら、とにかく先を急いだ。
 後ろで看護婦さんが「そこの人、走らないで!」と注意する声が飛んで来る。いつもは立ち止まり、すみません、って謝るところだけど、今日は聞く気になれない。だって、あんなに元気だったおばあちゃんが、おばあちゃんが……。

 ――311、312、313、314、315!

 もどかしい。いつもならすぐ辿り着く距離。なのに今日はこんなに一生懸命走っているのに、いつまで経っても部屋に近づけない。病棟は315号室の向こうで折れ曲がり、そこから後の部屋は右へ伸びる廊下の先。私は壁の角で背中を擦りながら最短距離で駆け抜けた。

 ――316、317、318、319、320!

 325号室のプレートがやっと見えた。病室の前の廊下には誰もいない。

 ――……誰も、いない?

 私は電話の向こうの騒ぎを思い出して、突如不安に襲われ、急ブレーキをかけた。きゅぅーっと、耳障りな音がして、321号室から324号室の前を滑っていき、閉め切られた325号室の前でちょうど停止した。
 反射的にドアノブに手を伸ばして、それに触れる直前、感電したように慌ててその手をひっこめた。

 ――おかしくない?

 あまりにも周りが静か過ぎる。

 ――何で誰もいないの? もしさっきの電話がホントなら、お医者さんや看護婦さんがみんな来てる……はずなのに。

 3階のいちばん突き当たりのおばあちゃんの部屋は、不自然なくらいひっそりとしていた。嫌な予感がもくもくと湧き上がって、胸の中がいっぱいになる。

 ――もしかして、もう死……。

 最悪の結末を想像しかけて、私は慌てて首を横に振った。

 ――そんなわけ……絶対にないんだからっ!

 自分の弱気を叱咤した、その時だった。ドアの向こうで複数の人の気配がした。

 ――誰か……泣いてる?

 それも一人じゃない。耳を澄ませば、少なくとも2人以上の人間が、おばあちゃんの部屋の中で泣いている。

「うそ……」

 瞬間、全身から力が一気に抜けた。自然にがくりと足が曲がって、床に膝を打ち付け……る寸前、両脇から手がにゅっと伸びて、後ろから抱えあげられていた。

「おい、しっかりしやがれ」

 のろのろと首を回して後ろを見ると、サングラスをかけた播磨くんの顔があった。ちょっと息が切れていた。

 ――どうして、ここに播磨くんが? あ、そっか、私、バイクに乗せてきてもらって……。

 けれど、それは播磨くんがここにいる理由にならない。私は訊ねた。

「……帰ったんじゃなかったの?」
「ことがことだろうが。病院まで送り届けておいて、そのままじゃあな、って、帰れっかよ。それより、テメエのばあちゃんはどうした?」
「……」

 私は返事の代わりに、目の前にあるドアをじっと見つめた。部屋の中からはやっぱり誰かの泣く気配がする。播磨くんもそれに気付いたのか、ごくんと唾を飲み込んだようだった。
 それでも播磨くんは直ぐに気を取り直し、私をまっすぐに立たせて正面に回り込むと、目線を合わせて屈みこみ込んだ。一体何をするつもりだろう?
 播磨くんは、私の両肩に手をやって瞳の奥を覗き込むようにしばらくじっと見つると、低い声で訊ねた。

「中は? 見たのか?」

 私は小さく首を振って否定する。播磨くんはそれを見て、安堵のようなため息をついた。だけど私は目を逸らして、震える声で呟いた。

「……けど、泣いてるんだよ」
「わかンねえだろ、そンだけじゃ」
「でもっ」
「わかンねえだろが!」

 播磨くんは一喝した。私は口を噤むと、厳しい表情をしている播磨くんを恐る恐る見返した。播磨くんがゆっくりと肯いた。私はかすかに肯き返すと、播磨くんはゆっくりと脇へ避けて、扉に通じる道を開けた。
 私は一歩進み出て、ゆっくりと右手を伸ばした。指先が滑稽なぐらい、小刻みに絶え間なく震えている。ドアノブに触れる直前、目の前に見えない壁が立ちはだかるように、手がそこから少しも先に動かなくなった。反対に手の震えは大きくなるばかり。それに加えて、だんだん胸まで苦しくなってきて、私は思わずぎゅっと目を瞑った。
 そのとき、伸ばしていた方と反対の手がいきなり誰かに掴まれた。
 目を薄く開けてそちらを見ると、何個も指輪を填めたごつごつした大きな手が、がっちりと私の左手を掴んでいた。播磨くんの手だった。

「大丈夫だって。ぜってえ」

 播磨くんがぶっきらぼうに言った。言葉にあわせて、握っている手にも力がこめられた。ぽかぽかとした播磨くんの体温が、じかに私の身体に沁みこんでくる。その熱がみるみる私の気持ちを溶かした。胸を満たしていた不安と恐怖が薄らいでいく。気が付くと、いつのまにか私の右手は、病室のドアノブをしっかりと握り締めていた。

「開けるよ」
「ああ」

 私はドアをゆっくりと引き、意を決して中を覗いた。
 そこで見たのは――。
 テレビ時代劇『3匹が斬られる』に涙する、昨日と変わらない様子のおばあちゃんと、ハンカチ片手にすすり泣く、おばあちゃんの主治医の若先生の姿だった。……ちなみにテレビでは主人公の旅立ちを見送るヒロインもほろほろと涙を流していた。



                    *



 おばあちゃんの風邪の容態は、昨日からどこも変わっていなかった。ただ、布団の端から飛び出した包帯でぐるぐる巻きにされた右足が、辛うじておばあちゃんの身に起こったことを示していた。

「捻挫……だったの?」

 なあんだ、という言葉は辛うじて飲み込み、私はベッド横の丸イスにへなへなと腰を下ろした。

「そうじゃよ。下の売店に買い物に行くとき、よそ見してたら階段でちょっと足を滑らせたのさ。大して心配することでもないのに、若先生が大げさに騒ぐから、看護婦さんも一緒に右往左往の大騒ぎだよ」
「おばあちゃんっ、この年になってからの捻挫はクセになったら大変なんですよ。捻挫を甘く見ないでください。歩けなくなったらどうするんですか」

 突然の来訪者に慌てふためいていた若先生は、頬を赤く染めたままどこか気まずそうにしていた(テレビ番組で泣いていたことを見られたのが恥ずかしかったらしい)が、おばあちゃんから向けられた非難が聞き捨てならなかったらしく、私達の前にも関わらずこんこんと説教を始めていた。それでも最初から口調が優しい先生は、怒ってもちっとも怖くなんかないのだけれど。

「だいたいが、嵯峨野さんは病人らしくないんです。ただの風邪だと甘く見ると痛い目に遭うんですから」
「はいはい。わかったよ、先生」

 言いながら、おばあちゃんは私の方を向いて小さくウインクする。私は困って曖昧に微笑んだ。

「ほらほら、先生は夜の検診の途中でしょ、こんなところで油売っていていいのかい」

 まだ何か説教したりなさそうな先生を、おばあちゃんは体良く追い出すと、やれやれ、と呟いた。

「真面目で優しいのはいいけど、ちょっと融通利かないのがねえ」
「それだけ真剣なんだよ、先生は。でも、ただの捻挫でホントによかった」
「当たり前だよ。来週には退院するんだからね」
「それにしても、どうして2人で時代劇なんて見てたの?」
「ん? いやね、治療が終わった後に先生が『恵ちゃんに電話で知らせちゃったから、恵ちゃんが来るまではいなきゃ』なんて律儀なこと言って、『ここで待つ』ってきかないもんだからさ。仕方なく、気まぐれに2人でテレビを見てたわけさ。……にしても、最近の時代劇は泣かせるねえ、特にあの万石ってお侍は、男の中の男だねえ。あたしがもう少し若かったら惚れちまうよ」

 おばあちゃんは見ていたテレビのシーンを思い出したのか、涙ぐんでちょっと鼻を啜った。

「おう、ばあさん。万石のこと分かってるじゃねえか」

 それまでずっと黙っていた播磨くんが、嬉しそうに同意した。何だかちょっと興奮しているみたいだった。もしかして『三匹が斬られる』のファンだったりするのだろうか。これはまた意外過ぎる趣味だ。
 すると、おばあちゃんは会話に割り込んできた播磨くんをマジマジと見つめ、私に視線を移すと突然訊いた。

「で、そちらに立っている子は、恵の彼氏かい?」
「……え?」

 私は直ぐ隣に突っ立っている、播磨くんを見上げた。

「違うって。単なるクラスメイト」
「おうよ。ばあさん、勘違いにも程があるぜ」

 播磨くんも速攻で同調する。むう、少しくらいは慌ててもいいと思うんだけど。自分から否定したとはいえ、播磨くんの態度がちょっとだけ面白くない。まあ、私は安全パイってことかな。播磨くんは、天満ちゃんが好きなんだし。
 だけど、おばあちゃんは皺だらけの顔をますます皺だらけにして(多分、にんまり笑ったのだと思う)、私と播磨くんの真ん中あたりの空間を指差して言った。

「じゃあ、何で手なんか繋いでいるんだい?」
「「!!!!!」」

 ずざざ、っと2人一緒に反対方向に飛びずさる。
 忘れてた。そういえば、病室に入る前から播磨くんと手を繋いだままだったっけ。気付いた途端、一遍に頭に血が昇っていた。

「ち、違うのよ、おばあちゃん!」
「そ、そうだぜ、俺には他に好きな娘がいて」

 しどろもどろになりながら、私達はお互い競い合うように言い訳した。今日、偶然にバイトが一緒になったこと、それで生まれて初めて会話したこと、たまたま呼び出しの電話に居合わせてバイクで病院まで送ってくれたこと、播磨くんにはちゃんとクラスの別の子に好きなことがいること、支離滅裂だったけど余すとところなく全部伝える。おばあちゃんは終始ニコニコと笑いながら聞いていた。
 そうしてひと通りの弁明を終えたところで、おばあちゃんが感慨深そうにポツリと言った。

「こんなに嬉しいことはないよ。恵にも遂に彼氏がねぇ」
「「だから、違うって(ぇの)!」」

 こうして私達はおばあちゃんに納得してもらうまで、同じ言い訳を3度も繰り返す羽目になった。



                   *
                   *



 平日の昼時、「割烹さがの」は今日も今日とて満員御礼だった。12時を過ぎると、近くのビルや工場で働く人たちがひっきりなしに店を訪れて、本当に目の回りそうな忙しさになる。私が高校を卒業してから、既に4年が経っていた。
 少し前、正式に3代目の女将に就いた私は、厨房と客席を忙しく行き来しながら、客からの注文をテキパキとにこなしていく。

「恵ちゃん、こっち、カツ丼2丁!」
「はぁい。おつゆはどうするの、タケさん? いつもと同じにする?」
「おう、こうザバァっと、ご飯が浮くぐらい入れてくれっ」
「おっけー! ……6番のご新規さん、カツ丼2つ! 片方はつゆ大目、タケさんバージョンで!」
「(あいよ)」

 壁ひとつ向こうにある奥の厨房から、絶妙のタイミングで返事が戻ってくる。
 父さんと母さんは海外で、今、この店には2人しかいない。私に女将を譲ってからというもの、お母さんは「これで安心して余生を送れる」とか言って、まだまだ両方働き盛りのくせに、店を放ったままで夫婦二人で旅行にばかり出かけている。そのおかげで今の「割烹さがの」は、厨房一人の店番一人。いつだってギリギリだ。それでも、やっとこの頃になって、2人だけで店を回すだけの目処もついてきた。

「おい、女将ぃ、今日の日替わり何?」
「今日はサバの味噌煮ぃ!」
「さばぁ? 俺、苦手だなあ」
「あらぁ、今年のサバはひと味違うよ? 騙されたと思って食べてみなって」
「うーん、じゃ、今日はそれにすっか」
「はいな、……2番のご新規さん、日替わり一丁っ」
「(はいよ、日替わり一丁)」
「恵ちゃん、恵ちゃん、こっち、ビール、ビール!」
「ちょっと、いいのタカさん? 仕事中に飲んだりして」
「大丈夫、大丈夫。俺は少し飲んでるくらいが仕事はかどるんだよ」
「うーん、せめて、小瓶にしときなよ」
「うっ、しけてんなあ。まあ、でも恵ちゃんがそう言うなら、仕方ねえ」
「そうそう」
「(3番さん、アジ定一丁あがったよ)」
「あ、はぁーい」

 厨房と客席を隔てる小窓から、アジの開き定食がにゅっと現れた。コップとキリンビールの小瓶をタカさんの席に「はい、ビール」と置いてから、ぱたぱたと奥に戻り、カウンターの3番テーブルへ出来上がった料理を持っていく。
 と、また誰かやってきたらしく、入口の格子戸の向こうにシルエットが映った。

「ごめんくださ〜い!」

 すぐに入口の戸が勢いよく開き、ランチタイムのウチには珍しい、そして、どこかで聞き覚えのあるうら若い女性の声がした。

「はぁい、いらっしゃいませっ! ……って、わっ!」

 普段通り反射的に返事をして、それから飛び上がるくらいに驚いた。のれんの向こうから顔を覗かせていたのは、お久しぶりの天満ちゃんだった。店にいる客の誰かが、ひゅうっ、と冷やかしの口笛を吹いた。天満ちゃんはびっくりするくらい大人びて綺麗になっていた。

「こんちわー、さがのん元気してた?」
「どうしたの、天満ちゃん! いつこっちに!?」

 天満ちゃんが矢神を離れて、会わなくなってからもうずいぶん時間が経っている。
 ひまわり色のワンピースに身を包んだ彼女から、トレードマークの縛り髪はいつのまにか消えていた。代わりに腰まで伸ばした淡く茶色に染めた髪にはゆるくウェーブがかかっていて、それがぐっと彼女を大人に見せていた。

「えへへ。昨日、ね、戻ってきたんだー、……にしても」

 天満ちゃんはグリーンのポーチを指でぐるぐる回しながら、ぎっしり埋まった店内を見廻した。

「繁盛してるねぇ、さがのん家!」
「んー、まあ、ぼちぼちってところ。ねえ、お昼食べに来たんでしょう?」
「うん」
「じゃあ、こっちこっち」

 私は夜の営業にしか使わない、取って置きの座敷の席に案内した。開けた障子の隙間から天満ちゃんが中を覗き込み、床の間付きの4畳の部屋に目を丸くしている。

「いいの? 一人でこんなとこ使っちゃって?」
「いいの。いいの。天満ちゃんは親友だからVIP待遇。そういえば今日は天満ちゃんの、」

 ――旦那さんは一緒じゃないの、と聞こうとしたときだった。奥の厨房の方から、ウチの息子が突然泣きだす声がした。その泣き声の合間合間に、板前をやっているウチの旦那が必死に宥めている声がする。だけど、一向に効き目はないみたいだ。

「恵ちゃん、やっぱダメだよ、アンタの旦那」

 カウンターの隅で食後のお茶を啜っている、常連のシゲさんが苦笑して言った。

「みたいですねえ」

 私もため息をつきながら、ちょっぴり首を竦(すく)めて応じてみせた。と、店の奥に繋がる通路の玉すだれをくぐって、ウチの旦那がドタドタと騒々しく走り出てくる。火のついたように泣く赤ん坊を背中にくくりつけ、包丁を片手に持ったまんまで。……いつものことだけど、危ないなあ。

「ママ、頼むっ。全然、泣き止まねえんだ」
「はいはい。もう、相変わらずパパは役に立たないんだから。ほらあ、とりあえず、その手に持った包丁仕舞って。……じゃあ、ごめんなさい皆さん、ちょっと待っててくださいね」

 店にいる客全員は、事情は万事分かっているというように肯いた。ただ一人、天満ちゃんだけは、座敷の手前で呆然としている。

「天満ちゃんも、ほぉら、上がって待ってて。今からこの子、宥めてくる。直ぐだから」
「う、うん」
「天満ちゃん? ……って、うおっ!」

 ウチの旦那が突然大声を挙げて、1メートル以上も後ろに飛び退いた。

「つ、塚本じゃねえかっ!」

 旦那の嵯峨野拳児――旧姓播磨拳児は、今ごろ珍客に気付いたらしい。私は拳児の背中にくくりつけたおんぶ紐を解いて、泣き続ける息子を抱き上げると、そっと拳児の耳元に口を寄せてからかうように呟いた。

「感動のごたいめ〜ん」
「ばーか、何言ってやがるっ」

 拳児は少し不機嫌そうに言い捨て、赤くなってそっぽを向いた。私は思わず笑ってしまった。


 私と拳児は、2年前に一緒になった。
 初めて口をきいたあの日から、持ち前の仲人肌っぷり全開にして、私はあの手この手を使って拳児をけしかけ、何とか天満さんにアタックさせようとした。
 だが、敵もさるもの。拳児は強力なヘタレっぷりを発揮し、一向に告白できないままに、ずるずると時は過ぎていった。そして、遂に天満ちゃんはアメリカに旅立った烏丸くんを追い、拳児に何も告げずに矢神の街からいなくなった。
 ショックを受けた拳児は、ぷつりと学校にも来なくなり、結局は高校を辞めてしまった。傷心の彼のところへ時々見舞いに行きながら、少しばかりの責任を感じて、色々と世話を焼いているうちに……何だかこうなってしまって現在に至る……なのである。
 私が最初から進学を決めていた調理師専門学校へ拳児を強引に入学させたのも、もとはといえば単なるお節介だった。一緒に学校に通いながら、生来の怠け者の拳児の尻を叩きつつ、私達は晴れて2年後に調理師免許を取った。
 卒業後も就職しようとしない拳児を見かねて、私は実家で下積みさせてあげることにした。その間に、ウチの両親は随分、拳児のことを気に入ってしまった。拳児はそのまま「割烹さがの」へ就職が決まり、私と拳児は何だか自然に結婚することになった。
 式に出席した同級生からは、さんざんひやかされたのも今となればいい想い出だ。半年前には一人息子が生まれ、それぞれの名前から1字ずつ取って「恵児(ケイジ)」と名付けた。
 今でも拳児とどうして結婚する気になったのか、自分でもよく分からない。もっとも3か月前に大往生したおばあちゃんは、

『ほっほっほ、私はこうなると分かっておったがね』

 なーんて、1日だけ病院を抜け出して駆けつけた結婚式の祝いの席で、嬉しそうに笑っていたけれど。
 今も奥の座敷の仏壇には、生まれたばかりのひ孫を抱いて、病室で幸せそうに微笑むおばあちゃんの写真が飾られている。


 店の裏手に引っ込んで、恵児にお乳をやりながら、私は表の様子をそっと覗いていた。
 拳児と天満ちゃん――もしかしたら、烏丸夫人と呼んだ方がいいのかな――は、何やら小声で会話を交わしている。
 と、拳児は何かを早口に言って天満ちゃんに肯きかけると、彼女を座敷に押し込んで、興味津々に様子を見守っていた他のお客さんにぺこぺこと頭を下げながら、小走りに戻ってきた。
 胸に抱いた恵児が口を離して、満足のゲップをしたのを確認すると、私は慌ててはだけてあった胸を直した。拳児が奥に入って来たのは、それとほぼ同時だった。

「……ねえ、何話してたの?」
「ん? 単なる近況。烏丸の奴、日本に戻ってくるんだと」
「あ、そうなんだ。じゃあ、天満ちゃんも?」
「そりゃそうだろ? んで、引越し先の下見に来たって言ってた。矢神に住むんだとよ」
「そ、そう」

 話を聞いて、私はちょっぴり不安になってきた。
 だって、拳児は昔、天満ちゃんが好きだった訳だし。もしかしたら、私と一緒になったこと、今になって後悔しているのかもしれない。拳児の初恋の終わりは本当に唐突だったけど、正面から行って玉砕したわけでもなし、やけぼっくいに火がついたとしたら――と、考えれば考えるほど、気持ちは沈んでいく。
 無口になった私の頭を、拳児は笑いながらわしゃわしゃと撫でた。

「ばーか。何を心配してんだか知らねえが。俺はオマエがいなきゃ、何にもできねえし、何にもしたくねえ。それにさ……オマエが世界で一番好きなんだからさ。これからもずーっと変わらず、永遠に」

 拳児の辞書には、婉曲なんて単語はないに違いない。ど真ん中のストレートのような愛の言葉に、私はただ赤面するしかなかった。リンゴ並に真っ赤に染まっているはずの顔を見せているのが恥ずかしくなって、俯こうとしたその瞬間、私の唇は拳児に奪われていた。
 2人の身体が離れていってからも、拳児の触れていった部分が火傷をするくらい熱かった。私は煮えたぎっている頭を何とか働かして、辛うじて言った。

「……うん。私も好き」

 そのとき、ふと高校時代、初めて一緒にバイトをしていた日に、拳児と交わした言葉を思い出した。

『私は割烹屋を継がなきゃなんないから、旦那は婿養子の板前さんかな。自分はもちろん女将さんで、子供は男の子が一人くらい。2人だけで割烹屋を切り盛りしながら、途中で泣いちゃったりする赤ん坊をあやしながら、毎日毎日を楽しく過ごすの。旦那さんは料理以外のことはからきしダメで、そのうえ、少し……というか大分頼りないんだけど、普段の何気ないときに、私のことを好き、ってきっちり言ってくれる人がいいな。そういうのって素敵だなあ、なんて思ったりしてるんだ』

 私が弾かれたように顔をあげると、拳児はイタズラを見つかった子供のような目をしてこちらを見ていた。

「覚えて……たんだ」
「まあ、な。なかなか俺も律儀だろ?」
「……馬鹿ぁ」

 何故だか泣けてきそうになって、私は慌てて横を向いて目をこすった。その拍子に、涙が一筋だけ目の端から流れ落ちた。けれどそこから先は何とか堪えて前を向くと、真剣な表情の拳児の顔が今度はさっきとは違ってゆっくりと迫ってきた。視界の端で、恵児が不思議そうな顔で指をしゃぶりながら私達2人を見ている。
 私はそっと恵児に微笑みかけると、ゆっくりと目を閉じて、ひたすら拳児が来てくれるのを待った。(了)

 

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