【晶×播磨シリーズ#1】 I have a lot of secret plans.
日時: 2006/12/21 21:03
名前: ホザキ

スクランSS 播磨×高野
『I have a lot of secret plans.』

 高野晶はその時、ある一枚の写真を凝視していた。
 おそらくは使い捨てカメラで写されたと思われるその写真には、一人の男性の横顔が写されている。やや高いところから撮影したことを示すアングルと横顔が写っていることから、盗撮だと推察することができた。
 写真の人物はサングラスに学ラン姿。見る者が見れば「不良」と評し、ある人物が見れば「ヒゲ」、またある人物が見れば「お猿さん」。そう、彼は播磨拳児という、晶のクラスメイトだった。
 晶を知る者が今の彼女を見れば、まず自分の視力を疑う。視力が正常だと判明すれば、今度は脳のどこかに病気があるのかもしれないと恐れるかもしれない。写真を見る彼女の瞳は明らかに強烈な熱情に揺れていたからだ。
 しかし、彼の横に立つには少なくとも四つの障害がある。四つの障害はそれぞれ、塚本八雲、沢近愛理、刑部絃子、姉ヶ崎妙という。
 常に秘策を隠し持つ女、高野晶の脳は障害排除のために活性化していた。「我に秘策あり」と独白する彼女の目は、熱情だけでなく愉悦の光さえ孕んでいた。



「ぜぇっ……ぜぇっ……。や、やっと逃げられたぜ……」
 額を滑る汗を拭いながら、播磨は咄嗟に逃げ込んだ教室の扉を閉めた。鼓動が速い心臓が納まるのを待ち、廊下の気配を探る。どうやら追手はちゃんとまけたようで、ひとまず播磨は安心し、改めて飛び込んだ教室に目を向けた。
 その教室は昼休みだからこそ使われていないのか、都合よく無人だったことに内心感謝した。教室というには、不思議な装飾が多い部屋だった。窓辺にある古典的なテーブルと椅子はどこから持ち込んだのか、およそヨーロッパの風情がある代物だった。どこかの部室か? と思い、無断に入ったのに気が引けたものの、背に腹は変えられんとここで一休みさせてもらおうと播磨は決めた。

 そもそも、なぜ自分は貴重な昼休みを消費してまで逃げ回っていたのか。
 記憶の棚をひっくり返せば、まず最初は妹さんこと塚本八雲に漫画の相談をいつものように持ちかけ、その時なぜか屋上に現れたお譲こと沢近愛理に粘着質な質問を浴びせられたことが発端だったと思う。あまりのしつこさに「お譲にゃ関係ねーだろ。どっか行ってろ」と漏らしたのが不味かったのか、百戦錬磨の自分でさえ惚れ惚れするキレのシャイニング・ウィザードがこめかみを抉った。倒れる寸前、お譲と妹さんが何か言い争っていた気配を意識の向こうに感じたが、すぐに意識は闇へ埋もれた。
 そして気付けば保健室で寝ていた。お姉さんこと姉ヶ崎妙が「心配したんだよ、ハリオ」と言ってズキズキする頭を胸で包み込んで撫でられた時は流石に顔が沸騰したが、不思議な懐かしさで心が一杯になり、まぁ俺怪我人だし、と無理やり納得させてまどろんでいたところに、なぜか慌てた様子の絃子が飛び込んできたのが次なる修羅場の始まりだった。
「大丈夫か!? 拳児く……ん……?」とすぼまっていった口調とは反比例し、慣れ親しんだ冷や汗と鳥肌が立つほどの絃子からのプレッシャーが膨張していった。従兄弟の目から見ても端整な顔立ちが般若に歪んでいく様子は、体の動きを奪うには充分な圧力だった。
 しかし、そんな圧力もお姉さんには効果なしだったらしく、より一層抱きしめる力を強め、絃子に朗らかな微笑み(なぜか不吉な笑みにも感じられたが)を向けて「大丈夫ですよ〜、刑部先生。ハリオは私がばっちり看護してますから。先生は早く仕事に戻ってください」などとのたまった瞬間、心臓が止まるかと思うほど絃子のプレシャーは最高潮に達した。
 そこから女と女の戦争が勃発した。機関銃のごとく攻める絃子に対し、お姉さんはひらりひらりとかわしながら、的確に急所を突く戦法。しかしそれで負ける絃子なはずもなく、戦況が膠着化しはじめたところで矛先が自分に向かってきた。
 ここ連日、どうも似たようなことばかり起きていたせいか、播磨の神経はそろそろ限界だった。悲鳴をあげる体が「全力でここから逃げろ」と教え、理性より早く本能が応じて播磨は目にも留まらぬ速さで保健室から飛び出していた。
 背後から「拳児くん、なぜ逃げる!?」「ハリオ、逃げるなんて!」の声と足音が追ってくるのを痛いほど感じていた播磨だが、止まった瞬間が終わりだと経験が理解していた。もっとも、逃げ切ったら逃げ切ったで後が怖いことは間違いないのだが、そこまで考える余裕は疲労に奪われていた。
 そこで更に追手が増えることになる。偶然、傍を通りかかったお譲が「ひ、ヒゲ。その、さっきは……」などと普段からは想像もできないほど殊勝な態度で何か言いかけていたのだが、その時の播磨にはお譲が疫病神にしか見えなかった。再び逃走を図ったのだが、「なんで逃げるのよ!?」とこれまた同じく追いかけてくる始末。
 ついには妹さんまで登場し、「あの、播磨さん。これ屋上に置きっぱなしだった……」と何かを言いかけ、その手に大きな封筒(原稿入り)を抱えていたのだが、それが何かを判断する余裕も止まっている余裕また無く、「すまねえ、妹さん!」と叫んでまた逃げ出す。「は、播磨さん! 駄目です、これは播磨さんの大切な……!」と、しつこいぐらいに妹さんまで追いかけてきたのだった。
 そして、もうどこをどう走ったかさえ思い出せないほどの逃避行の果てに、この教室(播磨にすれば理想郷)に辿り着いたのだ。

 昼休みの喧騒も四人の追手も遠い世界のように思えるこの部屋こそ、今の播磨が求めている全て――というか、安らぎが満ちていた。何も考えたくないほど億劫になっていた播磨は、椅子の一つを拝借してテーブルに突っ伏した。
「ああ……、ここはいいぜ」
 爺くさいセリフを吐きながら、播磨は猛烈な眠気が迫ってくるのを感じた。
 そういや、ここ何日もゆっくりした日なんかなかったぜ……。来る日も来る日も妹さんとの相談をお譲に邪魔され、唯一の安らぎ場所だった保健室もお姉さんが赴任してきてからはなぜか絃子が出入りするようになって戦場になっちまうし……。
 疲労も極致に達していた播磨は、午後の授業はサボろうと決め、睡魔にその身を委ねた。ものの数秒もしないうちに、静かな教室――茶道部部室に播磨の寝息が響くようになった。

 何かのいい匂いを感じ、播磨は突っ伏していた顔を上げた。
「起きた? 播磨君」
 無感情な声が耳に飛び込み、聞き覚えのある声だと思い、その声の主に目を向けた播磨は、教室で見かける女子生徒を見た。
 夕日が差し込む部室。播磨の向かい側に座る女子生徒は顔を夕日の色に染められ、紅茶を飲んでいる最中だった。赤く照らされた顔は無感情でどこか影が薄いと播磨は思い、その影の薄さが逆に誰だったかを思い出させた。
 確かこいつ、いつも天満ちゃんのグループにいる女で、名前は……
 …………
 ……思い出せねえ。
「あー、お前……」
「高野。高野晶よ」
 まるでこっちの心中を見透かしたように、影の薄い女こと高野晶は先手を制した。
 そういや、なんでこいつがここにいるんだ? 授業はどうしたのかと思った播磨は、部室の時計を見てとっくに今が放課後であることを教えられた。
 うおっ、俺こんなに寝ちまってたのかよ。
 自分の疲労がどれだけ蓄積していたのかを思い知り、播磨は愕然とした。そして一つの疑問が解消すれば次の疑問へ思考が飛ぶのは当然のことで、播磨はなぜここにこの女がいる(しかも優雅にお茶を飲んでいる)のかが気になった。
「……なぁ、お……高野はどうしてここにいるんだ?」
「茶道部の部長だから」
 簡潔な返事に、播磨はようやく無意識に飛び込んだ教室が茶道部の部室であることに気付いた。となると、部活中の部室に部外者の自分がいるわけにもいかないだろうと思考が帰結するのに、さほど時間はかからなかった。
「あー、邪魔したみてーだな。じゃ、俺――」
 帰るわ、と続けようとした矢先に、播磨の前に紅茶がなみなみと淹れられたティーカップが差し出された。もちろん差し出したのは晶以外にいるはずもなく、播磨がどういうことか混乱していると、
「紅茶、飲んでから帰ってもいいと思うよ」
 せっかく淹れたんだしと続けられ、静かな瞳に見詰められれば、義理堅く、男でもある播磨にそうそう断れたものではなかった。「お、おう。じゃあ一杯」と断ってからほんのり湯気の立つ紅茶を口にする。適温の液体が口内を通り、喉に達した頃には、紅茶の甘みがじんわりと広がっていた。
 美味い。文句なしに。
「美味ぇ……!」と思わず呻いた播磨の様子に、晶は相変わらずの無表情(しかしどこか満足そうに)で頷いた。
「お代わり、いる?」
「貰うぜ」と即座に返答した時には、播磨の頭には帰るという言葉はなかった。

「そういえば播磨君、昼休みはずいぶんと走り回っていたみたいだけど、どうしたの?」
 二杯目の紅茶を飲み干した時、晶が持ちかけてきた話題がそれだった。昼休みの逃走劇を眼前に再生した播磨は、よく自分があの四人から逃げ切れたものだと今になって感心する。
「あー、あれな。俺にももう何がなんだかわかんねーんだけどよ、最近じゃ気がついたらいつもあれだ。もういい加減疲れるのなんのって……」
 今日ここでゆっくり休むことができなかったら、二、三日中にはぶっ倒れていたかもしれない。過労で。
「それに比べりゃ、ここは天国だぜ……」
 天井を仰いで呟いたその言葉は、晶に聞かせたというより、自然と漏れた独り言だった。
「大変なのね」と返しながら、晶は三杯目となる紅茶を新たに注いだ。播磨も美味しい紅茶を飲むことに異存はなく、「ありがとよ」と言って受け取り、さっそく口に含んだ。
 それまでの二杯がぬるかったという油断が、そこにあった。
 どういうわけか沸点に近い温度の紅茶で、それを一気に口に含んでしまったのだから、舌が絶叫するのも無理はなかった。ぶっ! と噴き出し、「熱っ!?」と体が跳ねる。その拍子に持っていたティーカップが大きく揺れ、皮膚が耐えるには熱過ぎる水温の紅茶が学ランに降り注いだ。
 立て続けに襲い掛かる高温に、さしもの播磨も動揺した。「あちちちちっ!」と慌てるがそれで事態が好転するはずもなく、紅茶が急激に冷めるまでひたすら播磨は「熱い」と叫ぶはめになった。
「大丈夫?」とこんな時でも冷静そのものの晶は、即座に布巾を取ってきていた。
「あー……、舌がヒリヒリするのと、学ランが濡れちまった以外は別に大したことねえよ。それよか、拭くモン貸してくれねーか?」
 晶が持っている布巾を渡して欲しいと言ったのだが、予想外に晶は、
「大丈夫、任せて」
 と言い、いきなり播磨の間近に迫った。
 不意に微かな香水のような香りが鼻をかすめ、すぐ目の前、吐息すら感じられるほどに女子が接近している事実に、免疫のない播磨は大いに慌てた。
「お、おい! 自分で拭くって……」
 しかし、「いいから」ときっぱりと言われれば、女子相手にそうそう強く出れるものではない播磨は、目の前で踊る髪や、意外に美形な顔、学ランの上を這う知覚を努めて意識の外に放り出そうと努めた。
 それは間違いなく、意識的にしろ無意識的にしろ、播磨が晶に女を感じた一瞬だった。

 心臓に極めて悪かった一時が終わると、晶が「そろそろバイトの時間」と言って二人そろって部室から出ることになった。
 昇降口へ向かう道がてら、晶は「播磨君」と呼びかけてきた。
「もしかして、休める場所がないの?」
「うっ……」
 言われてみれば、妹さんと相談する屋上へはなぜかお譲が頻繁に現れるようになったし、前まではよくサボっていた保健室もお姉さんが来てからは絃子がこれまた頻繁に現れて戦場になったし、教室では(天満ちゃんがいるものの)かったるい授業を受けなければならないし、家へ帰ればねちねちと絃子が嫌味を言ってくるし……。
 マジで休む場所がねえ……!
 逃げ場なし。思った以上に追い詰められていた容赦ない現実に、播磨はがっくりと肩を落とした。しかし捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので、この時の晶は播磨にとって女神に見えた。
「それなら、茶道部の部室ならいつでも提供するけど?」
「え!? マジか……!?」
 思わず飛びつきそうになった提案だが、他の部員の迷惑にはならんのだろうかと考えが及んだ。しかしそれすら見越していたかのように、
「大丈夫。他の部員は八雲とサラの二人だから」
 八雲は他ならぬ妹さんで、サラといえば彼女の友達。そういえば夏休み最後のピョートルたち救出作戦では世話になったことがあり、あれから時折動物園で鉢合わせになることもあって、仲はそう悪くない。
「けどよ、なんでまた急に?」
「紅茶を美味しそうに飲んでくれるし、好感が持てるからね」
 面と向かって好感が持てると言われれば、播磨とて悪い気はしない。それにあの落ち着く安らかな空間を提供してくれると言われれば、休める場所を欲している彼とて断るはずもない提案だった。
 結果、播磨は異論もなく晶の提案を受け入れた。

 そして昇降口でわかれ、去っていく播磨の背中を晶が痛いほど真摯な瞳で見ていたことを、もちろん彼は知る由もない……。



 その頃、各地では四人の障害たちがそれぞれに今日の昼休みへ思いを馳せていた。

 塚本家。
 八雲は今日の夕食――カレー(バナナ入り)――の具を煮込みながら、回想にふけっていた。
(結局、原稿返せなかったな……。明日、また屋上で会ったら返そう)
 危なっかしいことこの上なく、上の空で鍋をかき混ぜる。
(……あ、そういえば、沢近先輩に蹴られた怪我、もう大丈夫なのかな? 高野先輩が保健室に連れて行ってくれたから大丈夫だと思うけど……)
 ろくに確かめることもなく、上の空で調味料を混ぜる。
(今日の部活はなしだって先輩言ってたけど、なんで急に……)
「八雲ー? なんか焦げ臭くないー?」
 姉の声に、思わず八雲は思考に没頭して加熱しすぎた鍋に目を戻し、「あっ……!」と悲鳴をあげた。
 その日の塚本家の夕食は、珍しく味が落ちてしまったらしい。

 喫茶店。
「ほん……っとに、あのヒゲったら!」
 怒りを顕に、愛理は親友の周防美琴に愚痴をさんざん漏らしていた。
「でもさー、沢近だって倒れた播磨ほっといて塚本の妹と言い争ってたんだろ? 高野が来なきゃ、ずっとほったからしだったんじゃないのか?」
 自業自得ってところもあると思うけど、と続ける美琴に一瞬だけ行き詰った愛理だが、すぐに「な、なによ!」と巻き返した。
「そもそもあのヒゲがね……!」
 興奮冷めやまぬ愛理に、美琴は「でも、高野の言葉聞いただけで即座に屋上へ飛んでいったのはなんでかなー?」と意地悪な質問をぶつけてストップさせた。
「そ、それは……」面白いぐらいに真っ赤になる愛理を見ながら、美琴はもうしばらくからかってやろうと心に思った。

 美術室。
「聞いてくれるかい? 葉子」
 絵のモデルをしながら、絃子は親友の笹倉葉子に話かけた。
「はーい、なんです?」
「拳児君なんだけどね、ひどい奴だよまったく。家族が怪我したというから、とりあえず私が見に行ってやったというのに、よりにもよって女といちゃついているんだよ。いい加減、愛想が尽きたよ」
 不機嫌極まりないといった感じの絃子だったが、葉子は意にも介さず「うふふ」と笑った。
「でも絃子さん、とりあえずなんて言ってる割には、高野さんから連絡を受けた時には凄い勢いで走っていきましたよね?」
「なっ……!? み、見てたのか……?」
「もうばっちり。うふふ、絃子さんってば可愛い」
 からかう葉子に、絃子は肌を上気させて反論したが、どれもこれも言い訳でしかないことなど、長年の親友であり後輩でもある葉子にはお見通しだった。

 職員室。
「ああ、姉ヶ崎先生。今日はもう終わりですか?」
 2−Cの担任である谷先生がちょうど職員室にいた姉ヶ崎妙に声をかけていた。
「はい。もう今日はあがらせていただこうかと」
「ところで、うちの播磨の怪我はどうでした? 昼休みに運ばれてそれっきり戻ってこなかったんですが……」
「ええ、それでしたら大丈夫ですよ。ちゃんと私が手当てしましたから」
「それはよかった。高野から聞いた時は、あいつも怪我するんだなぁって思ってたんですが」
「幸い、大したことはありませんでしたから。でも……」
 あの時邪魔さえ入らなければ……、という呟きは、幸か不幸か谷先生の耳には届かなかった。

 彼女たちは知らない。
 自分たちがある女の掌の上で踊っているに過ぎないことを。
 彼は知らない。
 熱かった三杯目のコーヒーが意図的だったことを。
 そして誰も知らない。
 晶が本気になれば、どれだけ激情的なのかを――。
End?



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