今日の日はさようなら(隣子) |
- 日時: 2006/03/08 23:43
- 名前: あろ
- 扉を開けて誰もいない教室に入れば、窓の外に広がる満開の桜が、色鮮やかに飛び込んできます。
今日は風が強かったから、もしかして。 手で頭を払ってみると、やっぱり。 薄紅の花びらがはらはらと舞い落ちてきました。 いつもの騒がしさがウソのよう。 今考えても、あれほどのアグレッシブな生徒達がよくもまあこんな狭い部屋に一年もいたものだと感心します。 何しろ他のクラスから恐れられ、一部の先生(K先生やG先生)に睨まれていたんですから。 でも、あれだけ騒がしかった教室も、今は誰もいません。 今日は終業式。 明日から春休み。 だから、今日が2年C組の最後の日なんです。
『今日の日はさようなら』
終業式を終えて、谷先生の心温まる挨拶のあと、銘銘に騒いでいたC組の皆でしたが、打ち上げ(ホント、お祭りが好きだなあ、うちのクラス)の準備に向かいました。 喫茶メルカドでパーティの後、花井くん家の道場で二次会をやるのです。お酒は……まぁ“一応”禁止。 谷先生も顔を出すので、無礼講というわけにはいきません。多分。 ちょっとさみしいですが、C組らしく騒ごー! ということで。 私も二次会のお料理の下ごしらえの担当なので、早く行かなきゃならないのだけれど、忘れ物をしたので美奈に断って教室に戻ってきたんです。 暖かい日差しを受けて、静寂に包まれた教室。 払った頭から舞い散った桜の向こうに見える黒板には、一面にみんなの想いが書き綴られていました。
――C組サイコー!! ――さみしーよー>< ――また一緒のクラスになれたらいーね
うんうん。 名前は書いてないけど、私もそう思う。 本当にこのクラスは素敵な人たちばかりだったから。 クラス替えは残念だけど、いつまでも覚えてる一年だったと。きっと将来の私は振り返ると思います。 他には何が書いてあるかな?
――下克上! 播磨、いつかテメーを倒す!! ――来年こそブレイクのはじまりだ!
……男子だ、きっと。 大丈夫かな、こんなこと書いちゃって。 気を取り直して。
――いいなあ…… ――Dかなと 声をかけたら Bだった(詠み人無念なり) ――エロソムリエより本日おすすめの一本―――
この辺は読まなくていいかな、うん。 えーとここは?………
――茂雄、ゴメンね。 ――円、ァァあァんまりだァァアァ
読んじゃいけない。 というか見てません。見てませんとも。あー、怖かった。
私は書いてません。 書こうとしたけれど、黒板の前に殺到するみんなをかき分けてまで書くのもなんだったし。こう見えても奥ゆかしいのです。 美奈に言うと、「奥ゆかしい人は、自分でそんなこと言わないよ」って突っ込まれるんです、きっと。 その通りです、はい。
そうだ、早くしないと。美奈を待たせてたんだ。 そう思い直して自分の席へ行こうとした私の目に、誰かが机に覆いかぶさって寝ているのが見えました。 あの金色の髪は………吉田山くん! のはずがありません。 怒髪天をつく、を地でいく彼の髪なら一目でわかるし、染めた色とは比べものにならない(ゴメンね吉田山君)あの綺麗な髪。
そっと近づき、覗き込んでみるとやっぱり沢近さん。 私のとなりの席でかわいい寝息をたててます。 金色の波の上ですやすやと。
こんなところで一人で寝てて危ないなあ。こんなに綺麗なんだもん、襲われちゃうよ、と心配になってきます。 早く起こしてあげるべきなのですが、思わず魅入っちゃうわけでして。 綺麗だなぁ………睫毛長いし、鼻も高いし、口も小さいし……本当に同じ人類かと思います、トホホ。 ここまでロケットで突き抜けられると、もう達観するしかありません。 それにしても本当に気持ちよさそうに寝てるんです。 そこは私の隣の席、つまりは播磨君の――
「ん、あれ……私……」 「あ、おお起こしちゃいましたか?」
寝ぼけ眼でゆっくりと身を起こした沢近さん。 おおげさじゃなく、まるで女神のようです。
「や、やだ私ったら」
ほんのり赤くなりながら、私を見て慌てふためく彼女の様子、初めて見ます。 なんだか今日の沢近さんは、綺麗というよりかわいい、です。
「あなた、打ち上げの準備に行ったんじゃなかった?」 「はい。でも忘れ物しちゃって……あれ?」
沢近さんと2人きりで話したことのない緊張感からか、妙に言い訳めいた仕種で机の上に目をやれば、置き忘れたはずのポーチがありません。 おかしいなと呟きつつ机の中も見ましたが、中は空っぽです。 もう終業式も終わったのですから、空っぽなのは当たり前で、一部の男子の机の中に教科書がはいっている方が珍しいんです。
「私が来たときには、何もなかったと思うけど……」 「そうですか……誰かが持ってったのかな」 「大事なもの?」 「いえ……その……食べかけのお菓子とか」 「ふふ、そう」
今度はこっちが赤くなる番。 本当に大したものは入ってないはず。携帯もお財布もポケットの中だし、小物入れも美奈に預かってもらってるバッグに入ってます。
「でも、誰かが勝手に持ってたら気味悪くない?」 「んー………ま、いいです」 「あなた、変わってるわね」 何をおっしゃるやら。変人揃いのC組では歯牙にもかけられません。
「沢近さんは、どうして教室に戻ってきたんですか?」 「え?……ん、ちょっとね」 「そういえば、他のクラスの男子に呼ばれ―――あ」 「ええ」
ちょっと困った顔の沢近さんが、言いにくそうにしてます。たぶん告白されたんですね。 告白といえば、つい先だっての卒業式の後にも、卒業生の何人かに告白されてたって(嵯峨野情報)。 節目節目で告白したりされたりはよく聞きますが、彼女の場合はその数が膨れ上がるそうです。 なんともはや。 そうですか、それで皆と別行動だったんですね。 でも、それと播磨君の机で寝ているのは、どういう関係が?? よくわかりません。
「えーと、断ったんですよ……ね?」 「ええ、全員ね」 「全員?!」
なんですか、その十把一絡げな数え方は。というか複数でしたか、参りました。
「好きでもない人に告白されたって、嬉しくないわ」 「言ってみたいです」
そんなセリフ。 哀しいけど、そんな立場になったことがありません。ため息をつく私に、沢近さんが吹き出し、それに釣られて私も。 2人で笑い合いました。 何だか今日の沢近さん、雰囲気が柔らかで話しやすいんです。 私をおかしそうに見つめた後、沢近さんは黒板へと目をやりました。
「楽しかったわね、この一年」 「そうですね」
彼女の透き通った瞳は、きっと黒板の字ではないものを見てる、そんな気がします。
「ま、このヒゲのせいで、イライラしたこともあったけど」
そういって、自分が今まで寝ていた机を拳でコンコン。 でも不機嫌そうな口調とはうらはらに、表情はまだ柔らかです。
「あなたも彼の隣の席で大変だったわね。あんなバカの近くで毎日困ってたでしょ?」 「いえ! そんなことないです!」 「……」
びっくりしてる。でもここははっきりと言わないと。
「た、確かに初めは怖かったです。一年生の頃から噂は聞いてましたし、実際に近くで見ても怖くて、家で泣いてました。でも、少しずつ少しずつですけど、何とか目に慣れてきた頃に、テストがあったんです。覚えてますか沢近さん。彼、突然大声出して」 「……いいえ」 「危ない人かなと思ったんだけど、もしかしたら真面目なのかもしれないって。私もあの時名前書いてなかったから、すごく助かったし。しばらく学校に来なくなってヤクザの抗争に巻き込まれたなんて噂のあとに教室でドストエフスキー読んでるし、それから、不良なのにクラスの出し物に参加してくれて、演劇だって体育祭のリレーだって、沢近さん知ってるはずだよ!」 「ええ、そうね」 「とにかく、播磨君には感謝してる! だってこんなに楽しい一年をくれたんだから」 「……」 「だから、そんなこと言わないで………沢近さん」
なんだか興奮してまくし立ててしまいました。 播磨君のことになると目の色変えるね、って美奈によく言われるし、恵ちゃんにも意味ありげに突っ込まれるしで大変なんですけど、何故かわからないんですが、播磨君のことに関しては黙っていられなくなるんです。 ことに沢近さん相手だったらなおさら。 だって、播磨君が1番このクラスで仲良くしてきたのは、他ならぬ沢近さんなんですから。 その彼女が播磨君のことを悪く思ってるのは、とてもではありませんが耐えられそうもありません。 わかって欲しいんです。 でも怒ってるかな、沢近さん……そうだよね、いきなりただのクラスメートにこんなこと言われて。 そっと彼女の様子を伺うと。
「やっと敬語がとれたわね」 「へ?」 「でも遅すぎるわね。もう終業式じゃない」
とっても柔らかな笑顔でした。 なんで? え? ってゆーか、私、いつの間にか沢近さんに対等な口調で話してたの? うそ〜〜〜!
「ご、ごめんなさい」 「あ、もう! また元に戻っちゃった」 「だってぇ………無理ですよ」
何しろ相手はご令嬢でハーフで眉目秀麗で、どんなに美辞麗句並べたって足りないぐらいのスーパー女子高生。 私なんて、とてもとても。 同じクラスってだけで自慢なんですから。
「あら、卑下することないのに。あなた可愛いわよ」 「へ? さ、沢近さん?」
なんでしょうかこの展開は。 いきなり沢近さんが私に迫ってくるではありませんか! 思わず後ずさりしたために、そのまま自分の席に座り込んでしまいました。 なおも顔を近づけてくる沢近さんの瞳が綺麗で吸い込まれそうです。それにしても沢近さんのアップは心臓に悪いよ〜。
「この低い鼻とか」 「ふが!」
鼻をつままれてしまいました。
「ひどーい! 沢近さん〜」 「ふふ、ごめんなさい。ちょっと悔しかったから、意地悪したの」
悔しい? なにが?
「私、あなたのことずっと羨ましいと思ってたんだから」
羨ましい? 何の冗談ですか? この低い鼻のことですか? まだ呆気にとられている私に構わず、沢近さんは急に身を起こして私から離れました。 ポケットから振動中の携帯を取り出したところを見ると、誰かからの電話のようです。
それにしても、まだドキドキ。 この人は、一体なにをしでかすのやら。 でも、沢近さんにこんな間近に接近して鼻つままれる人なんて、クラスでもそうはいないんじゃないだろうか、と。 変な自慢話ができました。
「――晶からだったわ。すぐにメルカドに来て、ですって。何やらされるか、心配だわ」 「沢近さんならきっと、何着ても似合いますよ」 「あら、今日のパーティで何するのか知ってそうな口ぶりね」
おっとと。しまった。高野さんにあれだけ口止めされてたのに。 わざとらしく口を押さえると、沢近さんも苦笑い。
「じゃあ私いくわね。後で会いましょう」 「はい。あ、その、沢近さん」 「ん?」 「その、羨ましいって、何がなんでしょうか?」
思わず呼び止めてしまったためらいもなんのその。ぜがひでも訊きたい今日この頃なんです。 振り返ってしばらく逡巡していた沢近さんは、固唾を飲んで見守る私に、言いました。
「教えてあげない、べー」
か、かわい〜〜〜! ちょっと照れながらも、イタズラっ子のような笑顔でアッカンベー。 男の子が見てたら落ちない人はいないんじゃないかと。 だって女の私ですら、クラクラしてます。 やっぱり恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤にして沢近さんが教室を出て行こうとしますが、ふと足を止めて黒板を眺めています。
「あなた、書いたの?」 「いえ、書いてませんけど…」
私の返事を聞いているのかいないのか、沢近さんは黒板に近づくとチョークを持って空いているスペースになにやら書き殴りはじめました。 そのポーズも、様になっています。こんな人が教師だったら素敵だろうなあ……… と見惚れている間もなく、彼女は書き終わるや手を叩いて粉を払い、教室を後にしました。 教室を出る間際の、こちらを振り返ったあの顔は……さっきのアッカンベーと同じ顔。
そうですか。 わかりました沢近さん。存分に読ませていただきます。 そう決心して、ついでに拳を固く握り締める。 静寂に包まれた一人ぼっちの教室。 私は一人黒板に近づいて、沢近さんの書いた文を見つけました。
――The petal of the cherry tree which has got on your head , it's beautiful.
さーわーちーかーさーんーのーいーじーわーるー。 やっぱりあの人はSです。しかもドがつくほどの。 英語ですか。英語の辞書はもう持って帰っちゃったからないんですよ? というわけで、自力で読むことに。あーうー。
えーと、桜のはなびら、あなたの頭の……? あ、まだ残ってたのかな。 そう思って頭に手をやると、まだ数枚の桜の花びらが。私、初めからずっと花びらのっけて沢近さんと話してたのかー。 はらはら落ちてくる花びらの一枚を手に取り、思わず笑ってしまいました。 最後の最後に沢近さんと仲良くなれたと思うと、なんだか嬉しくなってきます。 もしも三年生になって彼女と同じクラスになれたら…… いやいや、高望みはしませんけど。
――Even I wanted to be next to him.
まだ一文ありました。 こっちはちょっとわかりにくいな。 next to って何だっけ、と。とりあえず思案していると、ポケットの携帯から着信音が。 美奈からのメールです。いい加減もう行くよー、とのこと。 もうこんな時間! 沢近さんの最後の一文は気になるし、肝心のポーチは見つからないしで、後ろ髪ひかれる思いですが、親友を待たすわけにはいきません。 それでも、やっぱり気になるのは。
みんなの思いが綴られた黒板。
何か書こう、書こうとするんだけど、いい一文が浮かばない。 だったら書かなきゃいい、とは思うんだけど、それもやっぱり寂しくて。 もう一度、全体を見回します。
もしも“あの人”の書いた思いがあったら。
その隣に書きたいな。
そんなことを思っても、“あの人”が書いたかどうかなんてわかるはずもありません。 もちろんエロなんとかでないのは、すぐにわかりますが。
色々な思いを眺めて、やっぱり書くのはよそう、そう思った時にその一文が目に入ったんです。
――あなたのおかげで幸せだった
誰が書いたんだろう、この言葉…… なんかいいな、そう思ってたら、いつのまにか黒板がぼやけ始めました。 こんな風に想われたい。 こんな風に想いたい。 そんな気にさせる言葉。こんな恋ができたら、どんなに幸せなんだろう。 そっと目尻をふいて、私はやっと書く気になりました。 どうせ、数日経ったら消されちゃうのはわかってるんです。でも………
精一杯の想いを込めて、その言葉を書き終えるや否や、再び携帯が激しく揺れます。 まるで美奈が怒ってるみたいに。 いま行きますよー。 携帯をポケットから取り出した時、ポケットに入り込んでいたのでしょうか、桜の花びらがはらはら落ちたではありませんか。 床に落ちた一枚を思わず拾い上げて見つめていると何故だか嬉しくなってきます。 薄紅の花びらの優しい色に私はこの一年を重ねて、そっと自分の机に置きました。
「あーんーたーねー」 「あ、美奈、ごごごめん!」
い、いつの間に来てたんでしょうか! どうやら花びらを見つめてニヤニヤしてたところから見られていたようです。 ご立腹ながらもわざわざ様子を見に来てくれた優しい親友をなだめつつ、最後に教室に向かってお辞儀をしたあと、私は静かに教室の扉を閉めました。
「教室でなにしてたの?」 「実はね、私ね、さっきまで沢近さんとね―――」
書くとき特に意識したわけでもない。ただ空いてたからそこに書いただけで。 どこに何が書いてあるのか誰が書いたのか、そんなこと彼女には知りえなかった。 だからこれは偶然ではあろうが、播磨の言葉のとなりに、彼女の言葉がこう書かれたのである。
――あなたのとなりで幸せでした(了)
|
|