ファーストキスはレモン味 (絃子・葉子・播磨・ほか約2名)
日時: 2005/11/27 00:45
名前: たぴ

 私、刑部絃子は走っている。
 普段なら生徒に注意する立場であるはずの私が、走行禁止区域であるはずの廊下を、ここ数年出したことのないマックススピードで駆け抜けている。
 もちろん化粧が崩れたりしないよう、汗の一滴も出さぬよう細心の注意は払っているがな。
 しかし、以前から思っていたのだが、どうも化粧というものは性にあわん。
 なぜ皮膚呼吸を妨げるものをわざわざ時間をかけて塗りたくるのか、私には理解できない。
 まあ、葉子にあそこまで言われては断るわけにもいかないからな。


『絃子先生のお化粧姿、見てみたいな〜』
『いきなり、何を言い出すんだ?』
『きっと、惚れちゃいますよ♪』
『葉子、ふざけるのも・・・』
『って、拳児君が言ってましたよ』
『・・・っ!』


 ま、はじめから冗談だろうとは思っていたがな。
 拳児君がそんなことを言うはずない、ということは私が一番良く知っている。
 それでも、これだけ見向きもされないとなると、藁にも縋りたくなるのがホンネだ。
 そのままずるずると、葉子主催の『初心者のためのお化粧講座』に2時間ほど付き合わされるハメになった。
 まったく・・・拳児君もつくづく罪作りな男だ。
 少しは女心というものを理解できればいいのに。
 私がどれほど君の事を想っ・・・・・・。


 ・・・こほん。話が逸れた。
 今はそんなことよりも、廊下を走っている言い訳を言っておいたほうが良さそうだ。


 事の発端はこうだ。
 朝の会議が面倒だった私は美術室に避難していた。
 訳のわからん話を聞かされるより、ここで芸術に触れていたほうがいくらか有意義な時間を過ごすことができる・・・ような気がする。
 実のところ、絵のことなんてさっぱりだがな。
 葉子はよくこんな絵が描けるな・・・。
 キューピーだかなんだか知らないが、顔の形が原型を留めていないではないか。
 つまり葉子には、私がこんな風に見えているということか?
 ・・・せっかくだからチョビひげでも付け加えてみるか。
 そんなことを考えながら筆を手にすると、葉子が美術室に入ってきた。

「あら、先輩。職員室にいないと思ったら、こんなところにいたんですか」
「ああ、葉子か。おはよう」
「あ、おはようございます・・・って、あら?」

 軽快に動く筆に目を奪われた様子の葉子。
 せっかくだから芸術家の意見も聞いてみるか。

「なあ、どうせなら諸葛孔明ちっくの方が良かったと思うか?」
「それ、コンクール出展用の絵なんですけど・・・」
「そうなのか? どうりでいい出来栄えなわけだ」

 しまったな。そんな大事な作品に悪戯してしまうとは。
 変わり果てた姿になった作品を無言で眺める葉子に、かける言葉が見つからない。
 謝って済む問題でもないが・・・とにかくきちんと謝っておかないと。

「葉子、すまなかっ・・・・・・」
「ま、いっか。かわいいし、そのまんま出しちゃえ♪」
「・・・出すのか?」

 ときどき、葉子の美的センスを疑いたくなるときがある。

「あ。そんなことよりも先輩、聞いてくださいよ〜」

 大事な作品を『そんなこと』で済ませる葉子の価値観もついでに疑っておこうか。

「拳児君が学校の前でトラックにひかれたそうです」
「は?」

 我ながら間の抜けた声を発したものだ。
 一年のうちに二回もひかれるバカがいるか?
 いや、拳児君の場合、常識で考えないほうがいいかもしれん。
 もう二、三回ぐらいひかれる覚悟をしておいたほうがいいかもしれんな。

「なんでも、意識不明の状態だとか」
「なんだ、なら大したことはないな」
「そうですよね〜」

 拳児君が意識不明に陥った回数は、そんじょそこらの高校生など足元にも及ばん。
 伊達や酔狂で私の弾丸を受けているわけではないのだよ。

「それで、どこの病院だ?」
「あ、拳児君なら、いまは保健室に・・・・・・」

 その言葉を聞いた瞬間、私は走り出していた。
 ある危機感を感じた。いやな予感と言うか、虫の知らせというか・・・。


 そして現在に至る。


 とにかく無事でいてくれるように。
 保健室にたどり着いた私は、ただそれだけを祈りながらドアを開けた。

「拳児君! 無事か?」
「あら〜、刑部先生。ハリオなら大丈夫。一命は取り留めますよ〜」

 テキパキと応急処置をする姉ヶ崎先生。
 怪我や病気のことはわからないと豪語していたわりには、かなりの手際の良さだ。
 どうやら取り越し苦労だったようだな。
 ほっと胸をなでおろしていると。

「意識なし、呼吸なし、気道のかくほっ♪」

 姉ヶ崎先生、テキパキと人工呼吸準備中。

「この瞬間、待ち侘びたゾ。ハリオっ♪」

 姉ヶ崎先生の唇がゆっくりと、しかし確実に拳児君の唇へ向かう。
 背景にはいつの間にやら薔薇の花が散りばめられている。
 テキパキとした手際の良さの正体はこれか!

「ちょっと待て!」
「なんですか?早くしないとハリオ死んじゃいますよ」

 先程感じた危機感・・・。てっきり拳児君の生命の危機かと思っていたが。
 取り越し苦労なんかじゃない。
 そう、これは・・・拳児君の貞操の危機!
 保護者としてなんとしても守らねばなるまい。
 他意はない、絶対に。・・・・・・たぶんおそらくきっと。

「まさかとは思うが・・・そのままするつもりか?」

 一歩間違えれば、『私に任せろ!』と叫びたくなる衝動を抑え、なるべく平常心で切り出した。
 あまり学校で目立った行動はとりたくないからな。
 確か、人工呼吸には間接器具と呼ばれるものがあったはずだ。
 それがあれば、拳児君の唇が奪われることもあるまい。

「あ、うっかりしてました〜」

 ぽむ、と手をたたくと立ち上がり。

「歯磨き、歯磨き、っと♪」

 エチケットですよね〜、と言いながら洗面所へ向かう。

「待たんかっ!」
「なんですか〜?」

 い、いかん。熱くなってはダメだ。
 平常心、平常心。

「・・・間接器具は使わないのか?」
「そんなの使ったらせっかくのマウストゥマウスが台無しじゃないですか〜」

 私の中の悪魔が、その言葉に激しく同意する。

「いや、しかし・・・生徒と教師の間で直接というのは・・・」
「大丈夫です。私とハリオは一つ屋根の下で過ごした仲ですから」

 ほう。私に向かってそんなことを言うのかい?
 悪いが君なんかとは比べ物にならないくらいの日々を、私は拳児君と共に積み重ねてきたのだよ。

「そんなことが許されるのなら、私がとっくにやっているさ」
「へえ〜、そうだったんですか〜?」

 しまった! 勢いとはいえ、なんてことを口走ってるんだ私は!

「真っ赤になっちゃって、刑部先生、かわい〜♪」

 姉ヶ崎先生がほっぺたをぷにぷにとつついてくる。
 できることなら、さっきの言葉をなかったことにしてしまいたい。
 しかし、口から漏れてしまった以上どうしようもない。
 かくなる上は・・・・・・・・・ヤるか?

「姉ヶ崎先生・・・悪いが今の話、聞かなかったことに・・・」
「しかたない、今日は刑部先生に譲ります」
「え?」

 意外といえばあまりに意外すぎる言葉に、思わず愛用のバレッタに伸ばした腕が止まってしまった。

「善は急げです。さあ、れっつらごー!」
「いや、ちょっと・・・」

 そのままずるずると姉ヶ崎先生に背中を押されて拳児君のベッドの前までやってきてしまった。
 はっきり言って心の準備なんてできてない。
 高鳴る鼓動を抑えるために一度だけ、小さく深呼吸した。

「刑部先生、ファイトッ♪」

 にこやかな笑顔で肩をポンと叩いてくる姉ヶ崎先生。
 もしやこうなることは計算づくか?
 そう思ってしまうのは、単なる考えすぎか?

 それでも。

 このカーテンの向こうに拳児君が待っていると思うと、そんな瑣末なことはどうでもよくなった。



―――今行くよ、拳児君・・・。



 心の中で彼に呼びかけて、そっとカーテンを開けると。
 そこには安らかな寝顔の拳児君がいて。
 そしてナゼかベッドの隣には郡山先生もいて。
 姉ヶ崎先生のセットした薔薇の花はそのままで。
 目くるめく禁断の世界がそこに形成されていた。

「死ぬな、播磨!」

 郡山先生、人工呼吸実施中。
 ええもう、そりゃぁもう、ぶちゅっと。

「わぁ、郡山先生ったら大胆ね♪」

 もはやツッコム気力も消え失せた。
 私は無神論者だが・・・生まれて初めて神に祈ろうかと思う。





 この愚か者に裁きの鉄槌を下すことを許したまえ。







 そして今、私は拳児君の病室にいる。
 人工呼吸のおかげで意識を取り戻した拳児君ではあるが、大事をとって入院ということになった。
 まあ、トラック相手に喧嘩をしたというのに、カスリ傷で済んでいる頑丈さのおかげで10日ほどで退院できるらしいがな。
 ただ意識が戻った際に見た、郡山先生の顔のアップが軽いトラウマになっているようだ。
 先程からベッドの上で体育座りをして、心ここにあらず、という状態だ。

「なあ、イトコ・・・」
「ん?」
「ファーストキスはレモン味・・・・・・なんてウソだよな・・・」

 やれやれ・・・。
 そんなことを信じてるなんて、小学生か、キミは?

「あれはノーカウントだよ」
「・・・」

 反応なしとは、相当落ち込んでるな。
 まあ、初めて唇の感触を味わった相手がゴ・・・郡山先生だからな。
 しかたない、といえばしかたないか。

「やれやれ・・・・・・」

 落ち込む彼の横顔が。
 あまりに痛々しくて。
 あまりに愛しくて。
 奪ってしまった。
 彼の唇を。

「な、なにするんだ! イトコ!」
「口直し、だよ」

 慌てる拳児君はかわいくて、もう少し眺めていたかったけど。
 私は立ち上がり後ろを向いた。
 火照ったように熱くなった頬を見られたくなかったから。
 そのまま、なるべく普段の調子を保つように・・・間違ってでも声が裏返ったりしないように、慎重に言葉を発した。

「たかが唇同士が触れたぐらいでガタガタ言うな。郡山先生は君の命の恩人なんだ。感謝こそすれ、落ち込んだりするのは失礼だ。
 そもそもキスなど感情がともなわなければただの物理的接触に過ぎん。その証拠に今ので君はなにか感じたか?」
「・・・・・・」

何か言えよ、拳児君。

「なんなら今のもノーカウントにしてくれて構わん」
「・・・じゃあ、遠慮なk『チャキッ』」

 おっと、偶然手に持っていたバレッタの撃鉄が鳴ってしまった。

「・・・ソンナツモリ、アリマセン」
「・・・そうか」

 うれしいよ。その言葉が。
 たとえ嘘だとわかっていても、な。







 拳児君が退院した次の日の朝。
 同居人がいなくて退屈だった鬱憤を晴らすため、ちょいと悪戯を仕掛けることにした。
 熟睡している拳児君に。




 ちゅっ。




「オメ・・・なにすんだ! イトコ!」
「何って・・・おはようのあいさつだ。他になにがある?」
「だからって何も、キ、キキッ・・・キ・・・・・・」

 真っ赤になってキッキッと叫んでるとサルに見えてくるぞ、拳児君。
 起きたばかりだというのにやけにテンションが高いな。
 やはり拳児君はこうでなくてはいかん。

「なんだ。もしかして私の唇に心奪われたのか?」
「そ、そんなわきゃねーだろ!」

 必死に否定する拳児君がかわいくて。
 それ以来、私はときどき彼の唇を奪うようになった。
 このキスはファーストでも、レモン味でもないがな。



 それでも。



 味をしめるとクセになる。





 おしまい


〜あとがき〜
 行方不明となっている2名の教師の安否は、いまだ確認がとれておりません。(ウソ)


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